SSブログ

駆逐艦神風 バンカ島 [駆逐艦神風]

 日没いっぱいまで、羽黒の乗員を救助した
神風は、電探で潜水艦に警戒しながら、
シンガポールのケッペル岸壁に入港
しました。

 ここで、1週間をかけて被弾部を修理し、
再び次の任務につきました。


 1945年6月7日、神風は、ジャワ島から
陸軍兵員移送の任務にあたった足柄を
出迎え、シンガポールに連れ戻す護衛
任務のため、バンカ海峡に進出しました。

 バンカ島は、スマトラ南東岸と海峡を
はさんで接する島で、世界的なスズ鉱石
生産地として有名でした。

 この島には、翼を広げると1.5mにもなる
コウモリが生息しており、毎日、スマトラ島と
この島を往復していました。

 この周囲は、潜水艦の跳梁する危険区域
なので、この海域の対潜掃海のため、
警戒を一層厳重にしながら、足柄の
艦影を捜索してまわりました。

 この日の夜更け、霧状の空気の流れが
ぼんやり薄明るくたちこめる深夜、
仕事を終えた神風は、朝まで待機
すべく、潜水艦のひそみにくい
浅瀬に仮泊目的で、島影に入って
いきました。

 両舷のエンジンを停止して、行き足を
利用してすべるように進航していきました。
「只今より仮泊する」という声を聞き、
雨ノ宮氏は、旗甲板に出ていきました。

 ここで、突然、前部砲側の見張りから、
「右舷、敵潜水艦」の絶叫がありました。
しかも、別の見張り委員から、「左舷、
敵潜水艦」という声がしました。

 さらに、「司令塔が出ている。」、
「敵潜水艦、本艦の左右。」という声が
しました。神風は、海霧に紛れて浮上していた
潜水艦2隻の真ん中に渡りこんだようでした。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 遺体処理 [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏があらためていた遺体は、
満足な形をとどめないものが多く、
どれがどれかわかりませんでした。

 「あげるぞ」という声がして、片足を
次々と手渡されました。「合わせてみろ」
の声で、甲板に並べて寝かせた亡骸の
そばに持っていきました。

 しかし、左足が2本あったり、別の
遺体にも合わないということが起こり、
はっきりした遺体は半数もありません
でした。

 ほとんどは、居住区に飛散したようで、
運用科員が海水ポンプで洗浄すると、
梁などから肉片がバラバラと落ちて
きました。

 雨ノ宮氏は、戦死した電探員を、
特徴である入れ墨を頼りに探して
みましたが、見つかりませんでした。

 夜が明けてから、これらの遺体をボートで
島岸に送り、荼毘に付しました。ついで
燃料を補給し、再び戦場に戻りました。

 燃え殻だらけの羽黒沈没箇所には、
スコールが降り残っていました。重油が
広がる波間には、満タンのドラム缶が
数個浮かび、被災者がとりすがると沈み、
離すと浮かぶを繰り返している者が
数名いました。

 神風は、内火艇に山もりになって
叫ぶ兵たち、円材に乗る者など、
そこかしこから拾い上げて
いきました。

 こうして、羽黒の乗員を約400名
救助しましたが、ただでも狭い駆逐艦は、
まさに満杯状態になりました。

 この日のインド洋の夕日は、泣きたく
なるほどに美しかったとしています。空も
海も切れ目が判別としないほど、さいはても
なく真紅に染め上げていました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。