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巡洋艦矢矧 敵機動部隊 [軽巡洋艦矢矧]

 ブルネイ湾から別行動していた戦艦扶桑、
山城を主力とする、西村艦隊は、ミンダナオ島
北西海岸を北上して、レイテ湾に突入する
予定でした。栗田艦隊は、同じ時刻に、
ホモンポン水道から侵入する作戦でした。

 しかし、矢矧偵察機が、マニラ北東100海里に、
空母6隻を主軸とする巡洋艦と駆逐艦の艦隊を
発見したことで、予定が変更されました。
10月25日、栗田艦隊は、索敵行動に
散開しました。

 午前6時頃、西村艦隊より、レイテ湾に突入という
報告が入りました。さらに、駆逐艦2隻を血祭りに
あげたという情報が流れました。しかし、
敵機動部隊の片影だに見えませんでした。

 その時、見張員の一人が、マスト発見の
報告をしてきました。同時に、井上氏も
同じ方角でマストを発見し、同一のもので
あると判断しました。矢矧は、敵発見の
旗旒信号を掲げました。

 マストは、雨のせいで間もなく消えましたが、
雨が去ると、駆逐艦の3本マストが見えました。
井上氏が報告をすると、矢矧は、取舵変更をして、
マスト群の方向に変針しました。

 井上氏は、駆逐艦マストの後方を凝視し、
空母らしきマストを発見しました。井上氏は、
この後、次々と見える状況を報告していきました。
井上氏の報告は、戦闘への道標となりました。

 その時、何を狼狽したのか、勲功高き鬼
「金剛」の巨砲が火を吐きました。金剛の
母港は佐世保で、乗員は、九州、四国
出身者でしめられていました。そのせいか
気が短いことで有名でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 栗田艦隊一時退避 [軽巡洋艦矢矧]

 矢矧は、至近弾を受けたものの、奇跡的に
被害が少なく、乗員は、「ついている現象だ」と、
とらえ、勇気百倍になり、内地に帰港できると
余裕が生まれました。

 防水のため、一時勢力は半減となり、全速
22ノットという報告をすることになりました。
矢矧の憂慮が去ると、武蔵の安否が気になりました。

 さすがの大艦も大きな痛手に、艦首を前方に
傾斜し、駆逐艦2隻を従えて、傷つける巨像の
ごとく戦場から引き返していました。井上氏は、
その遅々たる足取りに、ホロリと涙が湧く思いが
しました。

 この時、栗田艦隊(第一遊撃部隊)は、反転をして、
全速力でいま来た方面へ退避し始めました。群鳳、
群鯨を走らすの景観でした。井上氏は、至妙の
作戦かもしれないと思いながらも腑に
落ちませんでした。

 この動きを見た敵軍は、日本艦隊が
遁走すると考え、基地へ引き上げて
いきました。

 約1時間後、再び反転し、攻撃進路に
入りました。10月24日、夜半、
サンベルナルジノ海峡を通り、
翌日午前3時に、太平洋に
侵攻しました。

(追記)
 前回矢矧を紹介した池田氏の書籍から
紹介すると、この日、5回の空襲を受け、
上記の被害により、矢矧は、数名の戦死者を
出しています。手放しで、天の助けが
あったとは言えないものでした。

 武蔵は、10月24日19時20分、
総員退避が命令され、19時35分に
左舷に傾いて横転し、艦首一番砲塔付近から、
真紅の火柱が立ち、大音響とともに海中に
没しています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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