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巡洋艦矢矧 敵の制空圏内 [軽巡洋艦矢矧]

 敵機動部隊が沖縄方面にいるという
報告を受け、予期していたこととはいえ、
行く手で爪をといでいる敵艦に突っ込む
わけには行かず、にせの航路をとることを、
余儀なくされました。艦隊は西に転針しました。

 空は雲に覆われ、薄日すら差し込まず、
井上氏は、心寂しい情景だと感じました。
視界には、全く陸は見えませんでした。

 日露戦争時、バルチック艦隊がとっていた
航路を、今は日本艦隊が逆行していました。
日本海目指して、1万海里の航路を来攻した
バルチック艦隊は、日本艦隊に撃沈される
ことになりました。

 水上特攻隊も、艦隊戦ならば恐ろしくはなく、
むしろ望むところでしたが、空からの攻撃力を
持つ機動部隊は苦手でした。

 午前10時、上空警戒していた零戦は、
上空を去っていきました。この後は、交代機は
もうきませんでした。鎧も兜もなしに、敵の
制空圏内を水上艦隊だけで進撃していました。

 矢矧は、このような出撃は初めてではなく、
レイテ沖海戦も同様でした。しかし、レイテ沖
海戦の時は、味方の基地が、点々とある
フィリピン諸島の間を、縫っていくという
心強さがありました。

 今は、レイテ沖海戦のときの3分の1以下の
戦力で、敵の機動部隊は分散することなく、
攻撃を一身に受ける立場に置かれていました。

 井上氏は、覚悟を新たに、見張りを
行いました。すると、上部見張りから、
「大型水上偵察機1機、右10度、
2万m右に進む。」という甲高い声が
しました。

 よほど慌てていたのか、飛行機発見時に、
一番大事な高度が、報告から抜けていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 沖縄を目指す [軽巡洋艦矢矧]

 1945年4月7日が、ほんのりと明けて
きました。右手に、うず高く盛り上がった
山容が暁闇の中に現れてきました。

 海図を見るまでもなく、大隅半島でした。
霧島の峰が、明けきらぬ曇天のもとに、
一幅の墨絵のように、はるかに浮かび
上がりました。目指す沖縄は、はるか
南方でした。

 沖縄到着は、翌日の早朝8時の見込み
でした。従って、今日一日、約12時間
頑張り通せば、嘉手納の上陸地点に、
巨砲を撃ち込むことが、できそうでした。

 夜も明け放たれた頃、大隅半島の
南端、佐多岬を通過して九州の南西
海面に進出しました。

 種子島が次第に左後方に遠のいて
いきました。薩摩半島の開聞岳が、
北東の雲の中にその美しい姿態を
没し去っていきました。

 空は、層積雲に覆いつくされており、
海面には、淡い 気が漂っていました。
その靄の中あら、箱のような形をした船が
三隻、忽然と現れました。南方から、
反航してきました。それは、戦時急増の
小型輸送船でした。

 信号で問い合わせると、奄美大島への
輸送におもむいた帰途で、6隻で派遣
されたが、3隻は分離して、目下
いずれかを退避中の模様という
ことでした。

 井上氏は、奄美大島はすぐそこであり、
それほどまで敵は進出してきたのかと
思うと、腹が立つ前に呆れたとして
います。沖縄に着くことさえ、大変な
ようで、油断ができないと感じました。

 まもなく、鹿屋基地から出てきた零戦
10数機が上空直衛に飛来しました。
その時、「敵機動部隊。沖縄東方面に
あり。」という報告があり、乗員は粛然と
しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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