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巡洋艦矢矧 特攻作戦出撃 [軽巡洋艦矢矧]

 1945年4月6日、霧が晴れて、曇りがちの
朝が来ました。

 午前10時過ぎ、「B29が1機、30km」と
報告がありました。井上氏は、敵機の発見は、
新聞記者の特ダネを入手するのに等しいと
しています。

 このB29は、接近すると、断雲の間から、
投弾してきました。これにより、駆逐艦の
1隻が、推進器付近に至近弾をくらい、
出陣不能に陥りました。

 しかも、これにより、特攻隊の全貌は、
B29によって把握されたことになりました。

 この海面は深水が30mほどであり、
闇に紛れて敵機から機雷を落とされたら、
一大事でした。

 そのため、急遽出陣準備に取り掛かり
ました。予定を3時間繰り上げて、
午後3時に各艦が錨を上げました。

 矢矧はこの作戦でも先頭に立ちました。
矢矧には、第二水雷戦隊の少将旗が翻って
いました。

 矢矧の後続の大和にも、第二艦隊長官を
示す将旗が、掲げられました。各駆逐艦も、
整然と航行してきました。

 矢矧が、初めて日本本土から戦地へ
航行したのは、1944年2月6日で、
シンガポールへ向けての航海でした。
この時は、4000kmでした。

 今回は、わずかに1200kmであり、
同じ日本国内でした。井上氏は、戦線が
収縮されたものだと感じていました。

 この日は、どんよりした花曇りの空で、
内海もべた凪でした。中国山脈の姿が
次第に薄れ、前方から国東半島が
大股に近づいてきました。

 さらに、その先には、四国の佐田岬が
霞んでいました。これが内地の見納めに
なるかも知れないので、外界の風景を
見守りました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 原艦長 [軽巡洋艦矢矧]

 原艦長の武勇伝に対し、井上氏は、敵発見、
即魚雷発射では、いつ照準したかが疑問だと
感じました。

 敵味方が、水平線内に接近し、濃霧の中で
おたがいに隠顕し出没する戦闘では、
だいたいの目標や方位はわかるので、
魚雷航走距離を、適宜に調整すれば、
特別に目標照準の必要はないものの、
命中率は下がりそうでした。

 一方で、考え方を進めると、敵艦隊発見、
即、魚雷発射では、よほど技量抜群のものが
見張り、補足しない限り、海面に這い回る
公算発射の魚雷が、濃霧の中を突っ走って
くることになります。

 これでは、魚雷発見、即命中となり、転舵回避の
いとまはなくなります。目標は、巨大で安定な
ものと同じとなる理屈です。宮本武蔵はこの瞬間を
示唆していたようでした。


 井上氏は、原艦長に、同じような状況になったら、
見張りの報告として、目標、方向、動勢の全部が
必要かたずねました。

 これを聞いた原艦長は、井上氏が見張長で
あることを察し、「面白い質問だ。目標と
方角だけでよい。場合によっては目標だけでも
良い。」と禅問答のような回答がきました。

 しかし、艦長の要望通りの見張報告だけで
十分と言えそうだと得心しました。公算発射で、
命中させられる艦は、よほど不運な餌食艦
だろうと考えました。

 井上氏は、矢矧の初代艦長吉村真武大佐は、
熊谷次郎直実タイプの武人一途の風格を
持っていたとしています。

 一方、二代目の原大佐は、硬肉長身無髯、
眼は鋭いが、口元には微笑みらしいものが
いつも漂っている戦略家の風貌でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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