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巡洋艦矢矧 呉に帰還 [軽巡洋艦矢矧]

 夜が明け始めました。右手に奄美大島が
ぼんやりとかすんで見えてきました。

 日本近海は雲が多く、ところどころの空に、
まるで穴があいたように、青い空が見えて
いました。その空を、背景にして、味方の
哨戒機が、飛んでいました。

 井上氏は、ホッとした気持ちと、戦線が
今や刻々と内地に迫りつつあるのを
感じました。

 11月15日、矢矧の属する第十戦隊は、
解隊されました。内地に帰港すると、
木村司令官とともに、第十戦隊司令部は、
退艦していきました。

 同時に、初代艦長の吉村大佐は退任し、
原大佐に代わりました。矢矧は、第二
水雷戦隊に編入され、司令官の
古村少将は、少将旗を持って、
矢矧に移動してきました。

 この時、各分隊も人事異動が行われました。
退艦を希望していた大城兵曹は、所要で留守に
していたため退艦できず、平兵曹が代わりに
退艦しました。

 退艦した平兵曹は、後にマニラで戦死し、
大城兵曹は、矢矧に乗り続け、戦後復員
しています何が幸運か不幸かは、両方とも
棺にふたをしてみないと、わからないもの
でした。

 井上氏は、引き続き見張長として勤務する
ことになりました。この後、矢矧は呉で過ごして
います。


 1945年3月19日、敵機動部隊から発進した
120機の大編隊が、岩国飛行場の攻撃に来攻
してきましたが、位置不明のまま東方に移動し、
呉軍港内に集まっていた日本艦艇に対し、
空襲を仕掛けてきました。

 この空襲時、矢矧は、呉工廠岸壁の
大クレーン下に係留されていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 金剛被雷 [軽巡洋艦矢矧]

 内地に帰還する艦隊は、先導は矢矧率いる
第十戦隊が当たり、その後に戦艦がついて
いました。

 11月中旬のこの時期は、台湾海峡は、波が荒く
なっていました。艦側に打ち寄せる波浪が荒れ狂い、
大きなうねりが、太平洋のかなたから巨大なしわの
ように押し寄せてきました。

 11月18日午前2時ごろ、艦隊は、沖縄に
近づきました。速力の遅い長門に船足を合わせて、
艦隊の航海速力は、16ノット、之字運動を
暗夜に反復しながら、内地に近い海の香が
懐かしく胸を膨らませていました。

 井上氏が、交替して見張りの当直に立った
ばかりの頃、急に伝声管が騒がしくなりました。
「金剛に魚雷命中。付近の潜水艦に、注意を
怠るな。」と当直将校がわざわざ上部見張所に
上がってきて、悲壮な声で怒鳴りました。

 間もなく水中音波が振動し、矢矧をゆるがすように
ゆすりました。金剛に命中した魚雷爆発の水中波及だと
推定できました。「金剛は、基隆に回航すべし。」という
電令が飛ばされたと、艦橋が騒いでいました。

 井上氏は、「鬼の金剛が、一体どうした
ことだろう。すでに内地も近いのに、ついて
なかったのかな。」と呆然となりました。

 当面の課題は、矢矧が金剛の二の舞に
ならないようにすることですので、眼が痛く
なるほど見張り、悲痛な声で、見張員を
督励しました。

 一時間ほどした頃、金剛の方向に、
一大火柱が打ち上がりました。井上氏は、
潜水艦の餌食にされるようでは、無念で
あったろうとしています。

 金剛は、日本海軍で唯一潜水艦で
撃沈された戦艦となりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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