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巡洋艦矢矧 第4艦隊 周章狼狽 [軽巡洋艦矢矧]

 雷跡を発見した井上氏は、「雷跡、
左30度100(1万m)、右に進む。」と
報告しました。すると、艦橋から、
「今の雷跡、確実か。」という参謀の
声が帰ってきました。

 井上氏は、確実であることを報告し、
さらに、「左10度、第4艦隊の一艦左舷
前部に命中。」と報告しました。

 井上氏は、一艦と報告していますが、
重巡洋艦摩耶であることは、見当が
ついていました。

 井上氏の報告が終わらないうちに、
左舷前部付近から、巨大な水煙が、
スルスルと天に昇っていきました。
見る間に、前甲板上の構造物が、
前歯を折るように、飛び散りました。

 続けざま、後部、中部、全部の3箇所から、
大火柱があがり、水煙が起こりました。一大
音響とともに、水柱が、バラバラと中空で、
拡大し、飛散しました。後に続いていた高雄も、
一大火柱と水煙が舞い上がりました。

 第4艦隊は、周章狼狽でした。一瞬にして、
重巡洋艦4隻の編成の第4艦隊は、3艦が
魚雷命中という致命的な大損害を受けて
しまいました。

 井上氏は、心の中で、「敵潜水艦をつかまえろ」と
叫び、怒りで体を震わせていました。敵潜水艦を
とっつかまえ、空中に振り飛ばし、足で踏み
にじってやりたいほど、ぎりぎりと腹が
立っていました。

 愛宕は、艦首を水中に逆立て始めていました。
そして、続いて摩耶が航行不能となり、前甲板が
急に低くなりました。後ろ甲板の構造物が、もう
ほとんど吹っ飛んでいました。またたく間に、
艦影が水中に引きずりこまれていきました。

 愛宕の姿が、海上から消え、摩耶も見えなく
なりました。高雄だけが、勢力半減となりつつ、
のろのろと動いていました。全く一瞬の
出来事でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 「捷一号作戦発動」 [軽巡洋艦矢矧]

 1944年10月17日、連合軍は
レイテ湾口スルアン島に上陸し、
翌日18日に、日本軍は、
「捷一号作戦発動」
の命令を麾下の艦隊に飛ばしました。

 著者の井上氏が乗艦する軽巡洋艦矢矧は、
第一遊撃部隊に所属し、命令により18日の
うちに、リンガ泊地を出撃して北上し、
20日には、ボルネオ島北西の
ブルネイ湾に入りました。

 ここには、戦艦大和以下約40隻の艦が、
集結していました。燃料補給のかたわら、
一部は、スル海より北上進攻する気勢を
示すかのような陽動作戦を開始しました。

 10月22日、第一遊撃部隊は、ブルネイ湾を
出撃し、進路をフィリピン島に向けて、
パラワン島の西岸を北上するコースを
選びました。

 第一遊撃部隊は、23日未明、パラワン島に
差し掛かり、ビクトリヤ山が右手にそびえ、
まだ眠りから覚めきっていませんでした。
艦隊は、対潜見張りを厳重に、払暁の
警戒配置につきました。

 警戒配置から航海配置に変更されようと
した頃、異様な爆発音が、矢矧の左側を
航海していた愛宕の右艦橋下付近に
起こりました。

 見る間に、一大円柱状の水煙が、
湧雲のように盛り上がり、昇天して
飛び散りました。敵潜水艦群の、
暁の魚雷攻撃でした。

 井上氏は、あまりの見事さに、しばらく
呆然としていましたが、次には、わけもなく
腹が立ってきました。乾坤一擲の出撃で、
出鼻をくじかれたような嫌な気分でした。

 井上氏は、水面の見張りを強化しました。
そこには、雷跡が見えました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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