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駆逐艦神風 最期 [駆逐艦神風]

 一旦神風から降ろされた乗員は、
復員船として戦後処理に再び新任務に
つくこととされ、戦時編成の三百名から
百数十名が残置されることが下命され
ました。

 電探員の中では、狩野一水だけが、
残ることになり、雨ノ宮氏は降りる事に
なりました。

 雨ノ宮氏ら残置組は、おぞましい検閲を
受け、イギリスの水雷艇に載せられ、
収容所に送られました。

 ここで、2年間の捕虜生活をすることに
なりましたが、戦いで戦死した人達を思えば、
幸いだったと、思い直されました。

 1946年1月、収容所にいた雨ノ宮氏に、
狩野一水から手紙が届きました。神風は
健在で、日本と南方を往復して、復員兵の
引き上げに、協力しているようでした。

 手紙には、爆撃で荒れた横須賀や
横浜付近の近況を、気遣いの行き届いた
書き方で、細かく記されていました。
手紙は貴重品であり、皆で回し読み
されました。

 雨ノ宮氏は、手紙の最後に書かれた、
「きっと神風が迎えに行きます。」という
言葉を何度も嗚咽しながら、読み返し
ました。そして、深く頭に刻まれたと
しています。

 食糧事情などで、全員脚気にかかって
いましたが、たくましく生き続けた不死鳥
「神風」の名前に、希望が湧いてきました。

 抑留は、この手紙から1年半も続きました。
しかも風の便りで、神風は座礁し、乗組員一同
艦を降りたと聞かされた時は、目先が暗くなり、
身体中の力が抜けて、へなへなになったと
しています。

 神風は、1946年6月7日御前崎で座礁し、
戦歴に幕を閉じました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 終戦の日 [駆逐艦神風]

 終戦の日、神風は沖に出て、機密に属する
不要品や書類などを集め、中甲板に燃える
ドラム缶で焼却したり、海中に投棄しました。

 その中には、暗号関係のもの、赤本その他が
ありましたが、電探室の機器も含まれていました。
電探員総出で機械を取り外し、力づくで甲板に
引き出しました。

 重い受信機や定電圧調整機などから、
順次、「レッツゴー」の号令で、波の上に
突き落としました。

 どれも、相当手を焼かされた代物であり、
生死をともにし、血肉を分け合った気難しい
相棒でした。

 搭載して8ヶ月、危うい時は、不思議と
よく働いたと、電探員の皆が、胸裡に
熱いものが逆流していました。

 平野兵長が、「くやしいすね、電探長」と
つぶやき、雨ノ宮氏は、黙ってうなずき、
「電探の最期だな。」と一言だけ答えました。

 一方、比較的軽い電磁ラッパは、ハンマーで
叩き潰していましたが、必要以上に執念深く
叩きつけており、高井電測士が、「それくらいに
しておけ。」と声を掛けるまで続けていました。

 しかし、電磁ラッパは、見る影もなく変形して
いたにもかかわらず、なかなか沈まず、しばらく
してから傾きながら、波に没していきました。

 がら空きになった電探室は、物置より
索漠とした感じになり、雨ノ宮氏その
空しさの中で、思いっきり椰子酒などを
飲んで、泥酔しました。

 神風は、セレター軍港に帰還し、春日艦長が
終戦の詔勅を拝読し、兵員整列の中央で、
軍艦旗をうやうやしく焼却しました。

 そして、半旗の下、大砲と機銃を俯角
いっぱいに下に向かせ、国辱にならない
ように、艦内の大掃除をしました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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