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巡洋艦熊野 那智、青葉と共同 [巡洋艦熊野]

 熊野には、約10機が襲ってきました。
周囲に小型爆弾の水柱が上がりました。
熊野は、12ノットで動き出しました。

 この速度では、ノロノロと感じましたが、
被害はありませんでした。午後になり、
再び空襲がありました。

 この時は、敵機は海上にはきませんでした。
熊野は、近くに停泊している青葉と那智と
三角形を作るように、後部にある小錨を
おろしました。

 これで動けなくなりましたが、3隻で
共同して撃退しようと、考えていました。
日が傾いた頃、今度は、SB2CとF6F
約40機が出現し、その半数が、那智、
青葉、熊野の3隻に殺到してきました。

 青葉が水柱に隠れ、那智の後部マスト
付近から火炎と黒煙が噴き上がりました。
熊野は、ほとんど被害を受けませんでした。
左近允氏は、以前のアメリカ機より、技量が
劣っていると感じました。

 青葉は、被害がありませんでしたが、
那智は、後部マストの機関銃台を直撃した
影響で、火災を生じていました。

 一時、火勢が強まり、水雷砲台から
魚雷を海に投棄していましたが、
そのうち下火になりました。

 夜になり、辺りは静かになりました。
今日の様子では、これ以上の被害を
受けると致命傷になる熊野にとって、
マニラも危険であると判断しました。

 戦闘力を回復するには、内地で修理する
必要がありました。人見艦長は、マニラを
出て、高雄に向かうことを決意しました。

 機関の準備を命じて、内火艇で上陸し、
南西方面艦隊司令部におもむき、護衛を
付けてほしいと要望しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 マニラで空襲 [巡洋艦熊野]

 マニラに到着した日、新たに二人の遺体を
収容しました。被雷の際に、瞬時にして
満水となり、航行中には収容できなかった
遺体でした。遺体は、陸上に送られ、
荼毘に付されました。

 熊野の戦死者は50名を超え、約100名が
重軽傷を負っていました。死傷者の多くは、
対空射撃関係者でした。重症者は全て、
マニラの海軍病院に送られました。

 左近允氏は、久しぶりに熟睡し、10月29日の
朝を迎えました。空は今日も晴れていました。
熊野は、横付けしている特務艦隠戸から、
離れようと機関の準備を、すすめていました。

 横付けしていると、片舷の対空砲火が
できない上に、攻撃目標として大きく
なるので、離れようと考えていました。

 午前8時少し前、まもなく横付けを離そうと
いう頃、街の上空に小型機の編隊が現れました。
見張員から、「零戦らしい。」という報告が
ありました。

 ところが、先頭機は、身を翻して、急降下に
うつりました。そして、飛行場に黒煙が上がり
ました。よく見ると、グラマンF6Fでした。

 熊野艦内に矢継ぎ早に号令がかかりました。
在泊艦もバタバタと配置につき始めました。
警戒警報も出ておらず、爆撃が始まる瞬間まで、
陸も海も静まり返っていました。

 しばらくしてから、ようやく陸上の対空砲火が
始まりました。熊野は、広い海面に出て、応戦
することになりました。

 そこへ、新たなF6F の編隊が、艦船を狙って、
上空にやってきました。熊野は、3日ぶりに、
主砲と高角砲が発砲をしました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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