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巡洋艦熊野 最後の戦闘開始 [巡洋艦熊野]

 1944年11月25日早朝、八十島船団は、
マニラに向けて、サンタクルーズを出港
しました。

 午前7時、対空射撃関係員は、既に配置に
ついていました。7時30分、ポリロ角見張所から、
信号が入り、見張員は、警戒しました。

 敵機が見えてきました。敵機は、サンタ
クルーズの上空に達し、熊野を中心に、
大きく旋回をはじめました。

 熊野は、発砲しませんでした。効果が
少ない上に、射撃により、敵機を招く
危険があるからでした。更に敵機が加わり、
合計25機のF6Fが上空に達しました。

 爆音だけが不気味に響きましたが、15分
経過しても来襲の気配がありませんでした。
しばらくすると、14機の編隊は去り、
残りの11機が、なにか獲物を見つけた
ように、運動をはじめました。

 第21長運丸のようでした。長運丸は、
19日の対空戦闘で、余波を受けて、
機銃弾を撃ち込まれ、島から切り
取ってきた椰子の葉や、灌木で
偽装していました。

 すっぽり緑一色に包まれて、小さな島の
南岸に、停泊していました。左近允氏は、
朝、長運丸の偽装を見て、感心して
いましたが、発見されたようでした。

 熊野の目の前で、一番機が、深い急降下に
入りました。二番機、三番機と続きました。
長運丸は、偽装を捨てて、機銃で応戦を
はじめました。

 両翼から、数本の赤い火箭が吐き出されて、
長運丸をつつみ、水飛沫が上がりました。
しばらくして、長運丸の機銃が沈黙しました。
敵機の降下角は浅くなり、ほとんど水平に
突っ込んでいきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 前夜 [巡洋艦熊野]

 左近允氏は、11月19日の分の戦闘詳報を
作成し、庶務主任に、謄写を依頼しました。
22日になり、マニラから、機銃弾4500発、
応急資材、糧食、軽油を受領しました。

 24日になり、庶務主任より、「戦闘詳報の
原紙を、切り終わりましたから、明日刷ります。」
と知らせを受けました。この日の午後、海防艦
「八十島(やそしま)」とSB艦が三隻
入港しました。

 SB艦は、大発を大型化したような形をした
戦車運搬車で、艦首の扉を倒し、戦車を
上陸させるようにできていました。

 両艦とも、元熊野の士官が乗り込んで
いましたが、変わり果てた熊野の姿をみて、
驚いていました。

 左近允氏は、両艦の士官に話を聞くと、
明日の明朝マニラに向かい、1週間後、
レイテの陸軍に、戦車を揚げるという
ことでした。張り切っている様子が
伺われました。

 19日の対空戦闘で、重症を負った十余命の
乗員を、八十島にマニラの病院まで送って
もらうことにしました。重傷者は、内火艇に
移され、送る者、送られる者、それぞれ
感慨がありました。

 夜になり、左近允氏は、兵科事務室で、
同僚たちと雑談をはじめ、しばらくしてから、
庶務主任と将棋を指していました。左近允氏は、
いつも挑戦者の立場で、4回くらい敗けて
しっぽを巻いてやめていました。

 二人の将棋が終わると、赤玉のポートワインの栓を、
抜きました。部屋にいた4人で、飲んで過ごしました。
左近允氏も、一本持っていたので、明日はその栓を
抜こうということで、決まりました。

 しかし、このワインは誰の口にも入ることは
ありませんでした。そして、翌日、運命の
11月25日になりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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