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巡洋艦熊野 熊野撃沈の状況 [巡洋艦熊野]

 左近允氏は、最後の戦闘について、
まとめるため、各部の士官に聞きに
まわりました。

 来襲敵機40機による攻撃で、爆弾4発、
魚雷5本を受け、熊野は撃沈したようでした。
魚雷を食らった箇所を確認すると、左舷に、
似たような間隔で当たっており、これが
沈没につながりました。

 左近允氏は、片舷に5本もの魚雷を食らって
撃沈しない船は大和くらいだろうと、思いました。

 最も被害の多かった通信科の乗員の大半は、
兵科事務所と、通信室にいましたが、誰ひとり
助かりませんでした。

 脱出した軍医長の話では、相次ぐ爆弾で
艦内はたちまち暗黒となり、傾斜が増して
沈没間近とみるや、乗員は上甲板を
目指しましたが、戦闘中の区画は厳重に
閉鎖されている上に、暗さもあって脱出に
手間取ったということでした。

 沈没が急だったこともあり、脱出できなかった
者も多く、真っ暗な中で手をつなぎながら、
君が代を歌って、覚悟を決めた乗員も
いましたが、その中には、助かった者も
いました。

(追記)
 熊野を航行不能にした潜水艦レイの記録として、
「熊野に2本の魚雷を命中させた1時間後、
浮上してみると、熊野はまだいた。艦首は
吹き飛ばされており、タンカーが曳航しようと
していた。

 熊野に23本もの魚雷を消費したことになり、
この不滅の軍艦を葬ろうと決めたものの座礁し、
修理を終えて攻撃再開しようとした時には、
ルソンの陸岸に曳航されていた。なんと粘る
ことよ。」としています。

 熊野が、サンタクルーズまで粘ったことは、
敵軍にも称賛されていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 中沢中尉 [巡洋艦熊野]

 左近允氏が、外に出ると、航海科の乗員の
遺体が安置されていました。黙礼した後、一緒に
兵学校を卒業し、1年前に一緒に熊野に乗り
込んだ、熊川中尉と兵舎に向かいました。

 二人の頭には、同じ経歴の中沢中尉のことが
頭にありました。数日前、中沢中尉は、「艦橋が
やられないのは不思議だ。今度はやられるぞ。」
と言ってきました。冗談とわかっても、縁起のいい
話ではありませんでした。

 左近允氏は、「艦橋は狙っているが、狙った
ところには当たらないものだ。」と言い返し
ましたが、彼の言葉が的中しました。しかし、
中沢中尉は、艦橋にいなかったにもかかわらず、
他の場所で爆弾か魚雷を受け、戦死していました。

 宿舎に行くと、古河鉱山の社員の方が、
20人ほどの士官のために、親身になって
世話を焼いてくれました(宿舎は、元々
古河鉱山の社員宿舎です)。交代で風呂に
入ると、さっぱりした気分になりました。

 食事を終え、窓辺からサンタクルーズの港を
見ると、何事もなかったように静まり返って
いました。就寝しようと部屋を探しましたが
見つからず、廊下の隅で、熊川中尉と
二人で毛布をかぶって、横になりました。

 昼間の戦闘が嘘のような、静かな涼しい夜
でした。


 翌日、食堂に航海長以下の士官が集まり、
今後のことについて打ち合わせが行われ
ましたが、マニラに移るまでは自給自足する
必要があるということでした。

 他にも仕事があり、こなしていく必要が
ありました。左近允氏の仕事は、戦闘詳報の
起案でした。やっと書き上げて、刷ろうとした
日に、全てフイになっていました。

 最後の戦闘を追加の上で、一ヶ月前の分から、
思い出して書くほか、ありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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