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巡洋艦熊野 今日も命があった [巡洋艦熊野]

 艦橋勤務、見張り、対空射撃員として、
乗員は、毎日午前中、配置につきました。

 熊野の機関の整備が続けられました。
11月17日に、第21長運丸が警戒艇と
して到着し、掃海艇と交代しましたが、
同船が、カッター代わりとなって、
桟橋と熊野の間を往復するようになり、
真水の補給は格段と円滑になりました。

 それでも、洗顔や風呂の余裕はなく、
食事の時に、鵜呑み一杯のお茶が
飲めるだけとなっていましたが、
乗員は慣れていきました。

 夜は、見張員は、警戒を続けましたが、
まずは休息の時間でした。この時期、
熊野では釣りが流行っていました。

 士官も舷側から糸をたれて、
見慣れない獲物を釣り上げて
喜んでいました。

 左近允氏は、当直でない夜は、兵科
事務室で、仲間と一緒にビールを飲んで
いました。その時に思うことは、
「今日も命があった。」
ということでした。

 口には出しませんが、正直な感慨
でした。ビールには、今日の健在を
祈るという意義もありました。


 11月19日、ポリロ角見張所から警報が
出ました。これは、敵機が来るということを、
知らせるものでした。逆用されることを恐れ、
熊野では、対空電探は使用中止となっており、
視認による警戒を続けていました。

 今までであれば、ルソンの各地は、敵機
来襲の電文を発し、その一部は、熊野の
視界に入ってきましたが、遠くの航空機の
編隊を遠望しているうちに午後になる
ということを繰り返していました。

 しかし、この日は、熊野直上に二機接近して
きました。左近允氏が確認すると、F4Fでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 航海士の仕事 [巡洋艦熊野]

 航海士である、左近允氏の大きな仕事は、
見張り以外では、戦闘詳報の作成でした。

 計画、経過、戦果、及び、被害、戦訓などの
項目があり、10月23日以降の戦闘を
報告にまとめるのは、なかなかの
仕事でした。

 しかも報告は、記事だけでなく、図面も
必要でした。しかし、船の運動を自動的に
記録する航跡自画器は、戦闘の初期に
壊れてしまい、航跡図は見当で書くしか
ありませんでした。

 電探や、通信機器などの精密機器は、
至近弾でも故障しがちなので、記録は、
あやふやになります。

 対空戦闘の状況については、高射長や
見張士、各機銃指揮官などから、何度も
話を聞いて、食い違いを正し、被害に
ついても、各部の士官に尋ねて
回りました。

 左近允氏は、高射長であった平山茂男大尉の
話をよく聞いていました。左近允氏は、航海士の
前は砲術士で、当時、発令所長だった平山大尉は、
直接の上司でした。

 平山大尉は、これまでの対空戦闘で、
対空射撃員の半数が死傷するという
状況になっていました。

 このことについて、
「真綿で首を絞められるようなものだ。
桜の咲く頃、内地に帰るくらいの気持ちで、
落ち着いていこう。」と笑っていました。

 左近允氏は快活な先輩と話をするのは、
楽しかったとしています。報告書の起案が
終わったら、航海長、副長、艦長に、
目を通してもらいました。


 もう一つ、左近允氏の重要な仕事に、
機密書類の焼却がありました。昼間、
ドラム缶に、投げこんで、どんどん
燃やしたものの、軍機海図の焼却
だけで、数日を要しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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