SSブログ

巡洋艦熊野 ノロノロ北上 [巡洋艦熊野]

 曳航してもらうしかないということで、
どこに曳航してもらうかということで、
場所はリンガエンと決めて、左近允氏と
甲板士官が、作業員を連れて、道了丸に
向かいました。

 内火艇で、道了丸に向く途中、熊野を
見ると、その姿は、かつての雄姿を
すっかり変えていました。

 艦首は消滅し、一番砲塔の砲身は、
先の方が、海面に突き出ており、
煙突の大部分がなくなり、艦は、
右に傾いて、沈下していました。

 日没近くになり、道了丸の船尾から
曳航索が渡され、曳航の準備が整い
ました。道了丸が、航進を起こすと、
ゆっくり進みましたが、その速度は
1ノットでした。

 奇妙な船団は、午後8時頃から、
ノロノロ北上をはじめました。


 左近允氏は、被雷当時の状況を振り
返りました。熊野に命中した魚雷について、
右後方から接近してくることは、数人が
気づいたものの、報告が間に合わなかった
ということでした。

 見張員は、魚雷は3本と報告して
いますが、水上偵察機は、4本の航跡を
見たと言っています(アメリカの記録でも
4本となっています)。

 前部右舷機械室にいた乗員は、全員即死と
なり、前部左舷の機械室は、たちまち満水、
後部機械室は、浸水まで余裕があり、脱出
できたということでした。

 これらの攻撃で、乗員の一人が、海に投げ
出され、駆潜艇に救助されています。艦首に
魚雷が命中した時、飛散した鉄片の破片で、
2人が戦死しているということでした。

 前部の切断箇所付近は、メチャメチャになり、
リベットも吹き飛んで、右舷のカタパルトは、
アメのように曲がっていました。魚雷の威力に、
改めて目を見張りました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦熊野 漂流 [巡洋艦熊野]

 熊野が魚雷攻撃受けたのを見た青葉は、
「我、曳航能力なし(この時、青葉は
大破していました)。」という信号を
送ってきました。

 護衛艦隊司令官は、「道了丸、駆潜艇18号、
37号を残す。」と信号し、船団は、北上を
はじめました。

 熊野は、なすすべもなく漂っていました。
しかも、潜水艦の脅威が消えたわけでは
ありませんでした。さらに、ルソン島の
空襲は行われており、遠方に、敵機を
視認していました。

 左近允氏は、機密書類を焼く準備のために、
ガンルームに降りていきました。そこに
6人位の乗員がやってきました。

 乗員たちは、めいめいが棚から取り出した
みかんの缶詰に、ミルクをかけて、立ったまま
食事をはじめました。乗員は皆空腹であり、食
べられる物は、今のうちが良さそうだという
ことでした。

 左近允氏が、艦橋に戻ると、道了丸と2隻の
駆潜艇が、熊野の周囲を微速で航行していました。
船団は遠くに行っていました。

 熊野は、傾斜は8度くらいに戻りましたが、
自力航行の見込みはありませんでした。そこで、
道了丸に曳航の依頼をしましたが、断りの返事が
きました。

 道了丸は、2270tの油槽船に対し、熊野は、
通常でも14000t、しかも5000tも注水
しています。一部欠損していても、道了丸が
曳航することはできませんでした。

 ジリジリと時間は過ぎていき、熊野の傾斜は
4度まで回復しましたが、曳航の目処は全く
立ちませんでした。

 午後になり、曳航してもらうしかないという
結論になり、とにかくやってみようという
話になりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。