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巡洋艦最上 バタビア沖海戦 [巡洋艦最上]

 バタビア沖海戦の前に行われたスラバヤ沖
海戦で撃ちもらした敵の巡洋艦が、向かって
きていました。

 最上らは、この艦隊を捕捉するように
努めました。敵艦隊は、「窮鼠猫を噛む」の
例のように、輸送船団の側面をおびやかす
ように襲いかかってきました。

 3月1日午前0時10分、20ノットで
南下中の最上らは、バンタム湾方面で、
打ち上げ花火のような星弾や曳痕弾
らしきものが交錯しているのを認めました。

 戦場でなければ、うっとりながめるような
情景でした。ただ事ではないと感じた曾禰氏は、
増速を命じ、これが何ものであるか確認すべく、
一気に南下しました。

 バンタム湾に殺到すると、戦火が
開かれていた戦場に達すると、有無を
言わさず戦闘に参加しました。

 この時、僚艦の三隈から、「われ今より
敵に止めを刺す」と宣言し、戦場を整理する
ことから行動をはじめ、混戦の防止に努め
ました。

 ここにいた敵は、残存艦隊で、空中からの
攻撃と呼応して、日本軍輸送船団に一撃を
加えていたものでした。

 一撃を加えた途端、最上らに補足され、
交戦が始まりました。0時40分でした。この
戦闘海面は、ことのほか狭く、暗夜の高速
運動であるだけに、曾禰氏としては、戦闘
指揮と艦の保安について、極度に神経を
使いました。

 この海戦は、敵艦を軸として同航、反航と
その都度戦闘側が変わり、照射指揮にも
極めて厄介な面がありました。

 曾禰氏としては、初陣で緊張していた
ものの、平素の訓練どおり全戦闘力を
敵の一艦に集中するといった全力投球を
するのみでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 バリ島沖海戦 [巡洋艦最上]

 2月中旬、最上らは、次期作戦基地として
アナンバス島を選んで、しばらく仮眠をする
ことになりました。

 アナンバス島は、洋上の群島で、
小ぢんまりした泊地を擁していました。
補給や潜水艦基地として手頃な湾でした。

 陸上にはこれと言った建物はなく、
崩壊した建物が2つほどあるのみでした。
戦隊は、できる範囲の警戒はしながら、
何かしらのんびりしたものがありました。

 2月24日この泊地を出港しました。
この極楽の海にも修羅の風が吹きはじめ、
来るべき一連の海戦が次々に起きました。
最初は、2月19日に発生したバリ島沖海戦
でした。

 この海戦は、日本軍の少ない駆逐艦隊を
見くびった敵巡洋艦と駆逐艦が、攻撃して
きたもので、日本軍は、不意打ちを受けた
ものの、猛然と肉薄する捨て身の戦法が
功を奏して大戦果をおさめました。

 そして、曾禰氏が最も大きな思い出と
評しているバタビア沖海戦が起こりました。
最上にとっての初陣であると同時に、
華々しい活躍と、感状という名誉を
勝ち得た海戦でした(とんでもない
大失態も演じていますが・・・)。

 バタビア沖海戦は、1942年2月下旬、
今村陸軍中将を指揮官とする陸軍部隊を
乗せた船団を、最上らが間接護衛と支援
任務をもって、行動していました。

 バタビア沖海戦に参加した巡洋艦は、
最上と三隈で、鈴谷、熊野はスラバヤ
方面で行動していました。

 前日の早朝、偵察機から敵艦隊発見の
報を受け、輸送船団は待機し、最上らは、
邪魔者を一掃すべく戦機の到来を待って
いました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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