SSブログ

巡洋艦熊野 突然の知らせ [巡洋艦熊野]

 マニラの夕焼けは、世界一と言われるだけ
あって、さすがに美しく、眺めていると、
しばし戦争を忘れました。

 一度、ガンルーム士官3人で、メトロポリタン
劇場で、映画を観たりしました。マニラは物価が
高く、物価が高いと言われるシンガポールより、
高く感じていました。

 酒保で何十銭で買えるものが、円単位と
なっていました。主計科の士官が奔走し、
靴や靴下、タバコを渡されましたが、
前渡しの賞与から支払うと、いくばくも
残りませんでした。

 サンタクルーズから、遺体収容班が引き
揚げてきて、入れ替わりに、木原大尉や、
加茂川少尉他数名の作業員がマニラから
派遣された潜水夫を連れて、サンタ
クルーズに向かいました。

 熊野は、水深26mのところに沈没して
いるので、暗号書その他の機密文書類を
引き揚げるためでした。


 12月2日の夜、突然、明朝朝出発の
航空便があるので、士官約10名は、
準備するようにという知らせがきました。

 左近允氏は、すぐに水交社に向かいました。
航空機は、DC-3であるということでした。
そこに電話があり、がら空きの一式陸上
攻撃機を、臨時便として出すということ
でした。

 便はあっても、士官は、何人かは残る必要が
ありました。白石砲術長が、帰国組と残留組を
決めました。左近允氏は、帰国組となりました。

 12月3日未明、残留する士官に後事を託し、
全員の速やかな帰国を祈りながら、宿舎を
出ました。外はまだ暗く、水交社を出て
ニコルスフィールドに向かう途中で、
空が白みかけてきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦熊野 司令部の思惑 [巡洋艦熊野]

 左近允氏らは、司令部の方針で、
便があり次第内地に帰還させる、
必要な士官は、席があれば
航空機に乗せるとなって
いました。

 しかし、司令部の本音は、陸戦隊として
取り込みたいという、ハラのようでした。
下士官の中で、それぞれの学校の
練習生課程を終えていない、いわゆる
無章の者は、回されるという話でした。

 若い士官も、陸戦隊の小隊長や中隊長を、
やらされるかもしれないという噂があり、
左近允氏は、河童の竹槍部隊は
御免こうむりたいと思いました。

 熊野の乗員がマニラに到着した11月30日に、
内地から来た空母隼鷹が、入港していました。
陸兵と軍需品をおろして内地に帰還するという
ことで、白石砲術長は、熊野乗員を乗せて
もらえるように司令部と交渉したものの、
実現しませんでした。

 陸戦隊に残すつもりなのか、もっと
防備のための作業に使いたいのか
わかりませんでしたが、
「明日はどこに100名、どこどこに200名。」
と割り当ててきました。

 左近允氏は、水交社でクラスメイトの
木曽乗員である土井中尉に会いました。
木曽は、11月13日の空襲で沈座
しましたが、大部分の機銃は、海面に
出ているので、毎日交代で出かけて
対空警戒にあたっているということ
でした。

 木曽はこれ以上沈むことはないので、
乗員は、直撃を受けない限り、戦闘を
続けなければなりませんでした。実際、
街は緊張した空気が漂っており、海岸
通りには、偽装した軍需品が、置かれて
いました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。