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巡洋艦熊野 推進器動く [巡洋艦熊野]

 11月19日の対空戦闘では、爆弾による
被害はなく、熊野は無事だったと言えますが、
乗員、特に対空射撃関係の死傷者が、
増加していました。

 左近允氏は、ガンルームに行きましたが、
顔ぶれが寂しくなっていました。亡き友や、
戦闘の思い出話が交わされました。それでも
元気一杯でした。

 次は自分の番かなと、考えることはある
ものの、感傷的になることはありません
でした。

 機関長に尋ねると、熊野は、一両日中に
試運転に入るということでした。熊野の乗員の
士気は、これだけ苦しい戦いが続いていても、
一向に衰えていませんでした。

 敬愛する人見艦長の下で、一丸となって戦い、
そして働きました。

 11月21日になり、艦尾からかすかな振動を
感じました。左近允氏は、試運転が始まると分かり、
期待の目を向けていました。艦尾から白い波が、
立ち始めました。推進器が回っていることを、
確認でき、成功だと感じました。

 現状4本ある推進器のうちの1本が動くように
なっただけですが、これまでの乗員の苦労は、
並大抵のものではありませんでした。ようやく
自力走行の目処がついたと言えました。

 しかし、エンジンについては、蒸気の漏れが
大きく、まだ、整備が必要だということでした。
この夜、更に嬉しいニュースがありました。
11月25日に、真水と弾薬、工作員が着く
ということでした。

 機関は直せても、艦首がなくなっているので、
なんとかしなければ、航海はできませんでした。
25日が待たれました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 機銃掃射を満喫 [巡洋艦熊野]

 敵機が飛来してきたことで、熊野は
対空戦闘をはじめました。

 互いの機銃弾が、激しく交叉しました。
敵機は、機銃を加えてきた後、そのまま
去っていきましたが、新たに14機の
F4Fが近づいてきました。

 熊野の周囲を半周ほど旋回した後、
一列縦隊を作り、やがて、翼を一振りした
先頭機が、急降下に移りました。対空機銃が
火をふき、敵も連続して襲いかかってきました。

 爆弾を落とす機体は少なく、ほとんど
機銃だけでした。その音が、嫌にはっきりと
聞こえました。機銃弾が、バラバラと船体に
食い込み、海面に飛沫を上げました。それが、
数秒おきに繰り返されました。

 14機の攻撃が終わり、熊野では、
「たまを運べ」の号令がかかりました。

 敵編隊は上空を旋回し、熊野の砲銃が、
これを照準し続けました。その後、再び
対空戦闘が始まりましたが、やがて、
敵機は去っていきました。

 船体には多数の機銃弾をくらいました。
艦橋右舷で肩肘をついていた左近允氏の
頭30cmくらいの窓枠の下部に1発
刺さっていました。

 上部な枠のところなので、助かりましたが、
数cm上下だったら、貫かれて確実に
やられていたとしています。

 甲板にも、多数の機銃弾が転がっており、
左近允氏が触ると、まだ熱を持っていました。
天蓋に上がると、平山高射長がいました。
「満喫しただろう。」と言われました。

 左近允氏は、今回の機銃掃射は、満喫した、
または、堪能したという言葉がピッタリの
気分だったとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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