SSブログ

巡洋艦熊野 午後の襲撃 [巡洋艦熊野]

 八十島船団は、全て轟沈し、生存者は
ごく少数でした。熊野の重傷者も、
八十島船団と運命をともに
しました。

 更に、11月25日の正午ごろ、朝、
敵機の襲撃を受けた長運丸から、金属製の
爆発音が、とどろき渡りました。炎上して、
長運丸の船体が、巨大な水柱に包まれました。

 搭載していた爆雷が誘爆したようで、
水柱が消えると海面には何もありません
でした。島に上っていた長運丸の乗員から、
手旗信号がきました。軍医派遣の依頼であり、
熊野から内火艇で派遣しました。


 午後2時を過ぎましたが、敵機は一向に
現れませんでした。朝、配置について以来の
緊張がとけてきました。午前中、百機以上も
来たのに、午後は一機も来ないというのは、
疑問でした。

 熊野は攻撃対象という価値すらないと
思われたのかと、考えました。しかし、
2時30分頃、天蓋の見張りから、
敵機来襲の報告がありました。

 乗員は、緩みかかった気分を締め直し
ました。艦内には、対空戦闘のラッパが
鳴り響きました。

 敵機は、急降下爆撃機の編隊で、最も
嫌な相手でした。見張員から、敵機は
爆弾を持っているという報告が
ありました。

 編隊は、右に旋回し、一列に並びだし
ました。今度は、確実に熊野を、
狙っているようでした。

 熊野は、敵機にめがけて主砲と高角砲が、
炸裂しました。敵先頭機が、急降下に
移りました。敵機の攻撃が始まると、
見張員も目を眼鏡から離して、
低い姿勢になりました。

 しかし、左近允氏は、熊野が全く動けない以上、
航海士として何もすることがありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦熊野 長運丸の悲壮な光景 [巡洋艦熊野]

 敵機に突っ込まれた、第21長運丸は、
ブリッジと後甲板のあたりから、黒煙が
噴き出しました。

 小さな炎が見え、それが次第に大きく
なっていきました。無抵抗の長運丸に、
機銃弾が容赦なく撃ち込まれました。

 乗員は、海に飛び込んで、島に向かって、
泳ぎ始めました。それでも、銃撃は
続きました。

 午前9時過ぎに、ようやく攻撃は終わり、
敵機が去った頃には、長運丸は、半ば
炎に包まれ、黒煙が、沖天高く舞あがって
いました。この間、熊野は一発も
放ちませんでした。

 「小型機約40機」という見張員の大声の
報告がありました。長運丸の悲壮な光景に
向けていた目が、一斉に敵機の方に
向きました。見張員の、「ざっと数えて
88機」という報告がありました。

 左近允氏も数えてみましたが、途中でわからなく
なりました。射撃用意が下命されました。左舷の
高角砲と、前部の主砲が、静かに砲口をもたげて
いきました。嵐の前の静けさでした。

 敵の編隊は、やや右に逸れていました。
88機が、熊野に殺到すれば、間違いなく
撃沈ですが、編隊は変針せず、熊野の艦首
方向をそのまま通過して、西の海に
出ていきました。

 敵機が目標としたのは、朝、サンタクルーズの
港を出た八十島船団でした。数分後に、敵編隊は、
南西方面の水平線の彼方にある目標に殺到
しはじめました。

 弾幕が上がり、乱舞する百機近い敵艦上機の
下には4隻おり、その中の八十島の艦内には、
熊野の重傷者がいました。

 やがて、攻撃を終えた敵編隊は、威容を誇示
するように、熊野の前方を通過して飛び去って
いきました。

 11月25日の、午前10時頃のことでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。