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巡洋艦熊野 掃海艇でマニラへ [巡洋艦熊野]

 日没少し前、見違えるようなさっぱりした
いでたちで、乗員は掃海艇に乗り込み
ました。

 日が沈んでから、熊野の乗員を
ぎっしりつめこんだ掃海艇は、横づけを
離し、熊野沈没地点を、静かに一周
しました。

 湾外に出て、針路を南に転じ、マニラに
向かいました。仕事のない便乗者であり、
潜水艦に幾度も攻撃されたことから、
いい気分はしませんでした。

 この頃は、駆逐艦や海防艦のような
小型艦も、雷撃の対象になっており、
安心できませんでした。

 艦橋では、やたらに潜水艦探知の
報告をしていましたが、艦長は慣れて
いるのか、舵もとりませんでした。

 幾度か水中探知機伝令の声に、眠りを
妨げられるうちに、夜が明けました。
水道を通過して、マニラ湾に入り、今度は
空襲を気にしているうちに、無事にマニラに
到着しました。

 一月近く見ないうちに、沈没艦船が増え、
桟橋付近は、あちこちに弾痕が見えました。
海岸近くには、木曽、沖波、初春などが、
マストや煙突を水面から出していました。

 上陸すると、桟橋から遠くない、以前は
根拠地隊司令部があった建物に入りました。
この建物の、2階と3階が割り当てられ、
だだっ広いだけで、何の家具調度品もない
部屋を仮住居としました。

 白石砲術長は、水交社に泊まり、南西方面
司令部との連絡にあたることになりました。

 この時期、アメリカ軍のルソン進行間近
という緊迫した情勢下であり、手厚い待遇など
望むべくもありませんでしたが、さて、
これからどうなるのだろうかと、
考えていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 サンタクルーズからの別れ [巡洋艦熊野]

 送別会は、夕食会と一緒に行われ、
社員代表の送別の辞に続いて、白石
砲術長が謝辞をのべて、ヤシの酒で杯を
あげました。

 サンタクルーズには4日間の滞在
でしたが、惜別の情が深かったと
言えます。

 その夜に、陸軍から、「付近のゲリラが、
夜間に潜水艦と信号を交わしている疑いが
ある。今も、沖の島に怪しい光を認めたので、
捜索する。輸送をお願いしたい。」という
ことでした。

 左近允氏は、加茂川少尉と1隻ずつ、
ボートを指揮して、出かけることに
なりました。

 桟橋で、武装した兵隊を乗せたカッターを
曳航して沖に出ました。海は、黒い鏡のように、
静まり返っていました。

 この下に、人見艦長以下400名もの乗員が
眠っていると思うと、名状しがたい厳粛な
気持ちになりました。この夜の捜索では
何ら得るものなく、サンタクルーズに
引き返し、最後の寝につきました。


 翌日の11月29日、マニラに向かう日と
なりました。正午過ぎに哨戒艇が入港し、
桟橋に横付けしました。真新しい、緑色の
作業服、白のズック靴、戦闘帽、石鹸、
タオルを支給されました。

 撤収と言っても、なにほどのことはなく、
内火艇は、警備隊に移管され、遺体
収容班は、あと数日残って作業する
ことになりました。遺体は顔もすっかり
変わり、名前の確認さえ困難でした。

 遺体回収に従事している藤島少尉から、
遺体を海岸に並べたら、側にオオトカゲが
いた話や、遺体を回収しようとしたら、サメに
足を持っていかれたという話を聞くことが
できました。

 彼ともひとまず、お別れとなりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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