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巡洋艦最上 あわやという事態 [巡洋艦最上]

 ジャワ海で迎えた紀元節の時の気温の
記録を見ると、缶室や甲板通路は45℃、
病室で37℃、環境の艦長休憩室でさえ
35℃に達し、全くの灼熱地獄のようでした。

 しかも、最上らの行動は、赤道を出たり
入ったりの毎日で、赤道を股にかける
連合艦隊という有様でした。

 この頃から、しきりとアメリカ・オランダ
連合の少なくとも5~6隻の巡洋艦からなる
部隊が出没しているという気配が濃厚で、
いずれのうち会敵するであろうと、警戒は
厳重を極めていました。しかし、緊張の度が
過ぎ失敗しています。

 ジャワ海は、「静かなること、鏡のごとし」と
言え、海上に浮遊する椰子の実や、竹林を敵の
潜水艦の望遠鏡と誤認し、攻撃を仕掛けたり、
椰子の葉を敵艦のマストと勘違いし、増速して
近づき間違いに気づくということをしていました。

 夜間の変光星を敵機と間違えたり、味方機を
敵機と間違え誤射したということもやっていました。
これらを引き起こしたのは、緊張の他に、暑さで
イライラしていたということもありそうでした。

 このような中、2月14日、敵機の不意打ちを
食らいあわやという事態になりました。発端は、
最上艦載機が、敵魚雷艇を見つけて攻撃を加え
炎上させたものの、燃料が少なくなり、煙突から
黒い煙を出して位置を知らせたことでした。

 これらの機体は揚収することができたものの、
敵機も呼び寄せており、艦が揚収で止まって
いる時に、爆弾を食うことになりました。
しかも、敵機の接近に、爆弾が投下されるまで
気づきませんでした。

 幸い、爆弾は外れ、海中の魚を成仏させた
だけで済みましたが、完全な奇襲攻撃を
食った恰好であり、命中していたら、
この後に行われたバタビア沖海戦に
参加できないばかりか、戦史に
汚点を残すことになったと
しています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 ジャワ海 [巡洋艦最上]

 イギリス戦艦2隻に、夜戦で一泡吹かせ
ようと意気込んでいた、最上ら巡洋艦部隊
でしたが、索敵機が触接を失ってしまい、
探照灯の光芒を遠距離ながら確認した
ものの、視界不良にはばまれ、追撃は
ついになりませんでした。

 結局、イギリス戦艦2隻は、鹿屋航空隊などの
80機の雷爆撃をこうむり、司令長官トーマス・
フィリップス提督以下多数の将兵とともに
沈没し、チャーチル首相の顔色を
失わしめました。

 世界的にみても初の対艦船雷撃の成果で、
この一戦こそ、日本海軍航空隊による先鞭
敵決戦戦術の壮挙でした。

 同時に、自ら編み出した航空決戦方式により、
潰え去るという皮肉な運命に見舞われることに
なりました。

 敵を逃した最上は、シンガポールを脱出した
敵艦隊が出現したという報を受け、風速20mの
荒天のもと、動揺が16度の生じる難航を続け、
今度こそはと急行しました。

 しかし、再び会敵することなく、無念の涙を
のみました。そして、戦場は、2月下旬から、
ジャワ海に移りました。

 ジャワ海は、ボルネオ島の南に横たわる
400kmくらいの狭い海でした。濃紺の
黒潮を見慣れている曾禰氏にとって、
淡緑色の浅黒い海の色は、パッと
しない存在でした。

 そして、池のようだと言ったほうがピンと
くるくらい静かな海で、女性的な感じのある、
南方特有のひっそりとした心も和むような
海面でした。

 曾禰氏らは、この海で紀元節(2月11日)を
迎えました。2月は、内地は寒さの盛りでしたが、
この付近は猛暑でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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