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巡洋艦熊野 土に埋められる幸せ [巡洋艦熊野]

 たまたま長運丸爆沈後、負傷者の手当に
派遣されていた西大尉は、熊野の最期を
陸上から見ていました。

 熊野に残っていたら、配置のことを考えると、
助からなかったと思えるとしています。西大尉は、
「ものすごい光景だった。沈む時は、声を上げて
泣いたよ。全員死んだと思った。助かった人が
いてよかった。」と言ってきました。


 この日、航海科の乗員二人の埋葬をすることに
なりました。左近允氏は、警備隊に行き、白木の
墓標を2本作ってもらい、碑名を書きました。
遺体の場所に戻り、遺品になりそうなものを、
探しました。

 遺体は、最近散髪したようで、頭髪は短く、
重油も固まって切りにくくなっていましたが、
少し切りました。お守りを持っていた遺体も
あったので、これも形見としました。

 棺に入れ、警備隊の前にある芝生の
美しい広々とした牧場が右手にあり、
その一すみに並べて墓が掘って
ありました。

 静かに遺体を入れて、代わる代わる
シャベルで土をかけました。見張長が、
「お前たちは幸せだったよ。こうしてみんな
立派なお墓を立ててもらい、土に埋められ
たんだから。」とつぶやきました。

 左近允氏も、同感でした。いつ死ぬか
分からぬ上に、死んでも土に埋められて
もらう見込みは、なさそうでした。


 この日、航海長が、重傷者として病院に
送られ、砲術長の白石中佐が、指揮を
とることになりました。この後も、
左近允氏らは、サンタクルーズで
過ごしました。

 そして、時々流れてくる遺体を葬りました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 木原大尉の脱出劇 [巡洋艦熊野]

 左近允氏は、工作分隊長の木原大尉の話を
聞いた時、最も驚かされました。

 木原大尉は、10名ほどの部下と、右舷下方の
一室にいました。そこにいた時に、熊野はあっと
いう間に沈没しました。脱出する間もなく、
熊野は、150度位回転し、着底しました。

 水深は26mなので、木原大尉のいた区域が、
水圧で押しつぶされることはありませんでした。
空気の入った箱に入れられて沈んだようなもので
あり、丸い舷窓の厚いガラスからは、海水の層を
通った陽光が差し込んでいました。

 巡洋艦熊野で、潜水艦事故で亡くなった
佐久間艇長を思わせる光景になりました。
木原大尉は、観念して座っていました。

 しかし、部下の一人が、窓を開けようと
言い出しました。ガスのような妙な室内の
空気にあてられ、頭がぼんやりしてきていた
木原大尉は、やってみようと考えました。
生きながら埋葬された者が、墓石を
持ち上げようとする図でした。

 固く締めてあった止め金をゆるめ、窓を
開けました。海水が奔入しそうですが、
実際は室内に圧縮されていた空気が
逃げ場を得て、海面にかけあがって
いき、乗員を押し出したようでした。

 木原大尉は、夢中で海中をかき、息が
続かないと感じた頃に海面に出た
ということでした。

 機銃掃射も終わっており、すぐにボートに
拾われて上陸しましたが、地獄の三丁目から
帰還したと言ってよさそうな、木原大尉の
脱出劇でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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