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源田実参謀 裏のある激賞 [源田実航空作戦参謀]

 山本長官、大西中将、山口少将を激賞
している源田参謀に言が、自分を良く
見せようとする策であるというのは、
レイテ沖海戦以降に行われた外道の
作戦時に現れています。

 大西中将は、1944年10月20日、
戦局挽回のために、マニラ北方約110kmの
マバラカット基地で、零戦搭乗員25名による
神風特攻隊を編成し、航空特攻を開始しました。

 大西中将自身が、「統率の外道」と言った、
指揮官失格の外道戦法でした。これいついて、
源田参謀は、「大西中将の立場になれば、山本
長官も山口少将も同じことをやっただろうし、彼ら
自身特攻機に乗って、出撃しただろう。それが、
海軍軍人だ。」と確認したように断言していました。

 しかし、いざ自分が指揮する343空司令の時に、
宇垣参謀長から特攻の命令が来て、そのことを
飛行長に話した時、全く反対の対応をしています。

 源田参謀から話を聞いた飛行長は、「私が
行きましょう。後は毎回兵学校出身を指揮官に
して行きましょう。

 そのかわり、私が最初に行くときは、後ろの
席に、命じた参謀を乗せましょう。司令(源田
参謀)、最後に貴方も行きますね。紫電改で。
どうぞやりましょう。」と返事しています。

 源田参謀は、黙したまま、343空の
特攻は、沙汰止みとなりました。

(追記)
 「それが、海軍軍人だ。」というのであれば、
当然このような対応はおかしいと言えます。
源田参謀に特攻するような覚悟があったとは
言えないと断言できます。

 ちなみに、特攻作戦を開始した大西中将は、
終戦の時に、特攻隊員に詫びる遺書を残して
割腹し、介錯も介さずに15時間余苦痛に
耐えて絶命しました。

 外道の作戦に対する責任の一端はとったと
言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 山口少将の信条 [源田実航空作戦参謀]

 山口少将と、加来艦長は、「多数の部下を
死なせ、戦いを全うし得ず、陛下の艦を
沈めることは、誠に申し訳ない。

 艦と運命を共にするのが、取るべき道。」
ということを言っていました。

 更に山口少将は、「二つの道のうち一つを
選ぶ時は、いかに困難でも、確信の持てる
道を選ぶ。」という信条に生きていました。

 このときの「確信の持てる道」は、艦と
運命をともにすることでした。

 源田参謀は、山口少将を、「この人は、
連合艦隊長官級の人物となり、英将ネルソン
にも匹敵すべき名将となったであろうが、
ほんとに惜しい人であった。

 “二つの道に直面した場合、困難な道を選ぶ”
というのがこの人の処世哲学であったようだ。
この哲学を持って進む時、後になって、悔やむ
ような失態はほとんど無くなると思う。」と、
激賞しています。

 山口少将に対する評価は、その通りだと
思えますが、上記の激賞は源田参謀が
純粋にそう思って発言しているものでは
なく、自分を良く見せようという策という
部分があります。

 源田参謀は、山本長官や大西中将に
対しても激賞していますが、同様のこと
でした。これは、後に、源田参謀のとった
行動が裏付けています。

(追記)
 山口少将が、イギリスをナポレオンからの
侵攻を防いだ名将であるネルソン提督に匹敵
するというのは、その通りだと言えます。

 山口少将については、真珠湾攻撃から、
ミッドウェー海戦まで、機動部隊の指揮官を
させてみたかったというのが個人的な
感想です。

 適材適所という原則を忘れ、年次順で
機動部隊指揮官に最も向かない南雲長官が
ついたのが大きな悲劇と言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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