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源田実参謀 新機動部隊 [源田実航空作戦参謀]

 ミッドウェー海戦以後、連合艦隊は、
「攻めて攻めてハワイを取り、講和を
結ぶ。」の夢を捨てる他、ありません
でした。

 この時点では、アメリカ軍が出てきたら
戦うという方法しかありませんでした。
しかも、それで勝算があるというわけでも
ありませんでした。

 正規空母は、翔鶴と瑞鶴の2隻だけに
対して、アメリカ軍は、エンタープライズ、
ホーネット、サラトガ、ワスプの4隻
ありました。しかも、この後アメリカ軍は、
空母で日本の3倍、航空機で10倍以上の
生産をしました。

 1942年7月18日、桂島泊地で、
第3艦隊の旗艦が瑞鶴から翔鶴に代わり
ました。これは、翔鶴は、珊瑚海海戦の
修理と合わせて、対空用レーダーを
装備していたからでした。

 他にも、新機動部隊は、第一機動部隊とは
編成が違っていました。まず、空母を、正規
空母2隻と軽空母1隻の3隻編成としました。

 軽空母の役割は、艦隊の上空警戒と索敵、
哨戒です。正規空母の航空の割合も、戦闘機や
爆撃機を増やし、雷撃機を減らしています。

 さらに、機動部隊に、高速戦艦や、重巡洋艦を
直属部隊として組み込みこんでいます。臨時に
組み込まれた第一機動部隊とは、この点も
違っていました。

(追記)
 新機動部隊の編成を見ると、ミッドウェー
海戦の教訓をいくらかは取り入れていると
言えそうですが、遅すぎると言えます。

 上記の編成は、セイロン島沖海戦や
珊瑚海海戦の教訓をきちんと組み込んで
いれば、ミッドウェー海戦前であっても
できたことであり、そうなっていれば、
違った結果になっていたことは明白
でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 責任問われず [源田実航空作戦参謀]

 空母4隻の喪失は、戦艦無用論を唱えて
いた山本長官にとって、マイナスが甚大
だと言えます。

 寡を持って衆に勝つべく、真珠湾攻撃を
強行したものの、ミッドウェー海戦の
敗北により、日米の戦力比は、この時点で、
不利になったと言えます。

 永野総長、嶋田海相、山本長官らは、
臭い物に蓋の処置によって、南雲長官や、
草鹿参謀長、源田参謀らの責任は問われま
せんでした。

 それどころか、7月14日に編成された
新機動部隊第三艦隊の要職に横滑り
しました。

 源田参謀は、航空参謀は外され、瑞鶴の
飛行長になっています。しかし、南雲長官や
草鹿参謀長は、新機動部隊で、要職を引き
継いでいます。山本長官以下の連合艦隊
司令部の顔ぶれも全員従来通りでした。

 この当時の日本海軍の上層部は、
あまりにも無責任で、いい加減で
あったと言えます。

 信賞必罰を徹底していたアメリカ軍とは
雲泥の違いであり、これで勝てる道理は
ないと言えます。

 「再び立ち上がって、この失敗を償い、
頽勢を挽回してこそ、我々の本文を
果たすものと言える。」と言っていながら、
失敗を糧にすることなく、艦船や航空機の
消耗を激増させ、頽勢を挽回するようなことは
何もできず、惨憺たる敗戦に導いただけでした。

(追記)
 三国志で、魏軍に大敗した馬謖を諸葛孔明は
泣いて斬罪に処しています。ミッドウェー海戦に
おいても、山口少将や、蒼龍の柳本艦長、飛龍の
加来艦長などが、厳然とした身の処し方を
しています。

 山口少将、柳本艦長、加来艦長などより遥かに
罪が重い、山本長官や黒島参謀、南雲長官、草鹿
参謀長、源田参謀らが、何のおとがめもなしでは、
無責任体質を継承するだけとなります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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