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源田実参謀 ソロモンで失われた航空戦士 [源田実航空作戦参謀]

 さらに、源田参謀は、ソロモンで失われた
航空戦士について、以下のように語って
います。

 「村田少佐のような英俊が、南太平洋の
航空消耗戦において、相次いで世を去った。
海軍がこれらの人々を失ったことは、
その人達の大きな力を後の戦闘に
振るわせることができなかった
だけでなく、優秀な後進指導力も
失った。」としています。

 しかしながら、この計り知れない損失を
なぜ招いたのかは、全く言及していません。

 源田参謀は、マラリアで病み衰えた体で
ラバウルから内地に帰り、航空作戦主務の
部員となるため、軍令部第一課に着任
しました。課長から静養を進められ、
別府温泉で10日ほど身体の回復を
図りました。

 その間に、「将来の大決戦に備えるため、
新兵力を整備しなければならない。この
兵力は、軍令部直属とし、真珠湾直前の
第一航空隊のような最高の練度に仕上げ、
いざという時に、作戦に投入するべきだ。

 部隊は、二本立てとし、第一は、基地
航空隊とし、インド洋から、マーシャル
群島まで、戦局に応じて、転進が可能な
ものでなければならない。

 第二は、母艦航空隊とし、翔鶴、瑞鶴と
1年後に完成する大鳳と、軽空母として
隼鷹以下数隻の母艦が期待できる。

 敵の機動部隊に比べれば、遥かに
劣勢だが、基地航空部隊とうまく協力
すれば、敵に痛撃を与えることも
不可能ではない。」というものです。

 航空隊を育てるというのは必要なこと
ですが、この時点では、困難と言えます。
それに、源田参謀の構想では、航空隊を
消耗するだけの作戦になりかねず、敵に
痛撃を与えることは、ほぼ不可能だったと
いえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 制空権獲得法 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀は、制空権獲得法について、
次のように述べています。

 「我が母艦搭載機の主力を攻撃機や
爆撃機において、戦闘機は、副として
いた。特に、攻撃の最大威力である
雷撃隊には、当局も力を入れたが、
練度も高かった。

 これに反し、アメリカ軍は、母艦搭載機の
半数を戦闘機としていた。制空権下の艦隊
決戦と言っても、日本側は、敵の航空母艦を
撃沈して制空権を獲得しようとしていたが、
アメリカ軍は、決戦場に優勢な戦闘機を
配備し、日本側の飛行機を排除して、
制空権を獲得しようとしていた。

 太平洋戦争の経過や、アメリカ軍のその後の
方針転換などを考えると、制空権獲得の戦法は、
日本海軍の方が遥かに賢明であったように
思われる。

 戦場上空の制空権を掌握する戦闘機隊の
重要さは十分了解できる。しかし、戦闘に
おいて攻勢をとり、敵航空兵力の根源で
ある空母を叩くほうが先決である。」
というものです。

 ここで述べていることは、欠陥頭脳を
露呈するものとなっています。
「敵航空兵力の根源である空母を叩く方が
先決」はその通りですが、援護の戦闘機が
足りないため、敵空母に攻撃する前に
撃墜されているというのが実態です。

 これは、戦争が長引くほど顕著になって
います。マリアナ沖海戦では、七面鳥撃ちと
言われるほど、敵空母に肉薄する前に撃ち
落とされ、ほとんど戦果に結びついて
いません。

 「制空権獲得の戦法は、日本海軍の方が
遥かに賢明であった」がどこから出てきて
いるのか疑問です。

 攻撃隊がいくら優秀でも、敵に爆弾や魚雷を
投下する前に撃ち落とされたら、練度が
高くても意味はありません。

 源田参謀を始めとした司令部は、飛行機
さえあれば勝てるという幻想を持っていた
ため、航空隊の誇大報告を疑いもせずに
信じたと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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