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源田実参謀 前途多難 [源田実航空作戦参謀]

 豊田司令長官は、8月21日、T攻撃
部隊の編成、作戦に関する機密連合
艦隊命令を発令しました。

 同日、久野大佐が、T攻撃部隊指揮官
兼第763空司令に任命され、9月上旬から、
同部隊の総合教練が開始されました。

 ところが、通信連絡、偵察、電探、台風
対策などの不備が露呈して、前途多難と
なりました。

 T攻撃部隊最高指揮官の第二航空隊
司令長官の福留中将は、9月8日に、
伊藤軍令部次長に、以下の表明を
しています。

 「T攻撃部隊は、決戦の第一撃として、
夜間攻撃に使う。悪天候とに乗ずる攻撃は、
最後の切り札として、決行したい。」

 これについて、伊藤軍令部次長も、
豊田司令長官も、「無理をすることは
ない。」と同意しました。


 ルーズベルト大統領は、7月27日に、
ハワイのホノルルで、マッカーサー陸軍
元帥、ニミッツ海軍大将と会合して、次の
上陸作戦は、フィリピン中部のレイテ島、
上陸予定日は、12月20日と取り決め
ました。

 総指揮官は、マッカーサー陸軍元帥で、
ニミッツ海軍大将が全面的に支援し、特に
日本軍の航空兵力を無力化するのは、
海軍の任務とされました。

 9月15日、日本軍の反撃力が少ないと
判断したアメリカ軍は、作戦を2ヶ月早め、
10月20日と決定しました。

 10月10日、ハルゼー大将は、延べ
900機で、沖縄方面を空襲し、日本側は、
航空機111機、アメリカ側は、21機を
喪失しました。

 この後も、アメリカ軍は、航空基地や
陸上施設を攻撃しました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 T攻撃隊 [源田実航空作戦参謀]

 マリアナ沖海戦で敗れた日本海軍は、
アメリカ機動部隊に対して、なにか
意表をつく戦法を見出すほか、
なくなりました。

 軍令部は、航空主務部員の源田参謀から、
台風時又は、夜間に雨リッ機動部隊を
奇襲する「T攻撃部隊」作戦案が
提出されました。

 Tは台風部隊の頭文字をとって、
Tと名付けたものでした。

 源田参謀は、「夏の終わりから、
秋の始めかけて通過する台風のために、
敵の機動部隊が活動を制限される
時期に、精鋭な夜間雷撃隊を持って、
痛撃しようというものである。

 この部隊には、陸軍の重爆撃隊も雷撃隊と
して、二個戦隊が、編入された。」と
しています。

 1944年7月23日、源田参謀は、
大本営主催の図上演習で、T部隊の
計画を説明しました。

 この中で、源田参謀は、「T部隊は、
日本本土、台湾、フィリピン間を
作戦場面とする。

 台風を利用して攻撃することを第一とし、
エセックス級空母10隻の撃沈破を目標と
する。機会が得られなければ、夜間攻撃を
行う。

 従って、飛行機隊と専属気象班をもって
編成する。飛行機隊は、攻撃隊150機と、
偵察隊45機とする。

 T部隊は、9月末までに、作戦可能のように
錬成することを目標とし、集中訓練基地には、
鹿屋を当てる。

 飛行機用電波探信儀、新型魚雷、爆弾を
至急用意する。」としています。参加していた
豊田司令長官は、夢みたいなこの話に、わらを
掴む気持ちで、源田参謀に異議を挟むことは
ありませんでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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