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源田実参謀 南太平洋海戦 [源田実航空作戦参謀]

 1942年10月26日、ソロモン諸島
東方海面で、南雲長官率いる機動部隊は、
ハルゼー中将率いる機動部隊と、死闘を
演じました。

 大本営は、敵空母4隻、戦艦1隻、艦型不詳
1隻を撃沈したと発表しました。軍令部と連合
艦隊、海軍省は、例のごとくこの誇大報告を
信じました。

 しかし、戦後明らかになった戦果は、以下の
通りです。空母1隻、駆逐艦1隻撃沈、航空機
74機損失というものでした。

 対する日本の被害は、撃沈はなかった
ものの、航空機92機と搭乗員143名を
失っています。しかも、村田少佐や、
関少佐などの名飛行隊長が戦死
しています。

 艦船で比較すれば勝利となりますが、
航空隊の被害は甚大であり、分が悪い
というのが真相となります。航空機の
被害が多いのは、護衛する戦闘機の
数が不足しているからというのが、
最大の原因です。

 源田参謀は、翔鶴とヨークタウンの
搭載機の配分を比較して、日本海軍は、
索敵を軽視していると言っていました。
しかし、実情は、戦闘機による援護も
軽視していたと言えます。

 ミッドウェー海戦で、戦闘機の援護が
必要なことは痛感していながら、この
認識だったということになります。

(追記)
 翔鶴の搭載機配分は、戦闘機27機、
爆撃機27機、雷撃機18機です。従来は
全て21機だったので、戦闘機と爆撃機は
強化したと言えます。

 対するヨークタウンの搭載機配分は、
戦闘機27機、爆撃機18機、雷撃機12機、
偵察機18機となっています。戦闘機の数は
同じですが、爆撃機や雷撃機の割合でいうと、
日本軍は攻撃偏重ということになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 ガダルカナル島での戦闘 [源田実航空作戦参謀]

 1942年8月21日、ガダルカナル島に
上陸した一木陸軍大佐率いる900人は、
飛行場東部からアメリカ軍陣地に突撃
しましたが、兵力と装備が問題外に違う
アメリカ軍11000人のアメリカ軍に
圧倒され、全滅しました。

 9月13日に、川口陸軍少将率いる
6000人が、夜襲攻撃を仕掛けた
ものの、凄まじい銃火を浴び、
おびただしい死傷者を出して、
敗退しました。

 9月上旬、源田参謀は、瑞鶴の飛行長から
臨時で第11航空隊参謀に任命されましたが、
マラリアにかかり、20日間入院してしまい、
何の役にも立ちませんでした。

 10月13日の夜、戦艦金剛、榛名は、
ガダルカナルの飛行場に対して、36cm砲弾を
918発打ち込み、アメリカ兵41人が戦死し、
航空機48機を破壊して、滑走路と飛行場
施設を大破させました。一定の戦果は
ありましたが、致命的とまでは言えません
でした。

 この時、山本長官に少しでもやる気が
あるのであれば、大和や陸奥、長門ら、
トラックにいた大口径主砲を持つ戦艦を
出撃させて、戦果を確かなものにする
ということも可能だったと思われます。

(追記)
 1942年9月15日に、伊19が、
空母ワスプに対し、6本の魚雷攻撃をし、
3本命中させて撃沈するという戦果を
上げました。

 さらに、外れた魚雷は、近くにいた戦艦
ノースカロライナと、駆逐艦オブライエンに
命中しました。

 ノースカロライナは大破して戦場から
離脱し、オブライエンは、撃沈するという
戦果になっています。

 偶然とはいえ、1回の魚雷攻撃で、空母と
駆逐艦を1隻づつ撃沈し、戦艦を戦場から
離脱させたというのは、日本軍屈指の
大戦果といえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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