SSブログ

源田実参謀 国家のためが転換 [源田実航空作戦参謀]

 大西参謀長から兵術思想や人生観の影響を
受けた源田参謀は、この後、国家のために
有利と勝手に判断した理論を、大西参謀長と
気脈を通じて打ち立てます。

 それが、戦闘機無用論と航空主兵・戦艦
無用論です。これらの実現を策し、やがて、
山本長官や、大西参謀長の線に乗って、
真珠湾攻撃計画を進めた原点が
ここにあると言えます。

 国家のためという論が、自分の野心の
ために転換したといえます。そして、
戦闘機無用論は、論理として崩壊
している以上の問題があります。

 それは、戦果拡大のために人命を軽視して
いるということです。そのことを象徴したのが、
開戦前に開かれた航空機戦闘技術研究会
でした。

 1933年の夏に、航空機戦闘技術の
研究会が開かれ、その席で、雷撃機
分隊長だった日高大佐が次の意見を
述べています。

 「雷撃機隊は、目標艦にぶつかるほど
接近して発射するから、いつもほとんど
命中という成績を出しているが、実戦で
こんなことをすれば、魚雷は文字通り、
目標艦の艦底を通過して無効になる
ものが多いだろう。

 その前に、魚雷を発射するまでに、
敵の戦闘機や防御砲火に全部撃墜
される可能性もある。

 そこで、実戦において、発射前の被害を
最小限にとどめ、多少の遠距離からでも
命中率を上げるための発射方法などを
研究する必要がある。」

 雷撃は、かわしやすいので、トドメに使用
するのが最も良く、そうなれば、日高大尉の
見解は、まっとうなものと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

源田実参謀 大西参謀長との出会い [源田実航空作戦参謀]

 1934年11月1日、佐世保海軍
航空隊司令の大西瀧治郎参謀長
(当時大佐)が、横須賀航空隊副長
兼教頭となりました。

 同時に、龍驤の戦闘機分隊長だった
源田参謀が、横須賀航空隊戦闘機分隊長
兼教官となりました。

 1935年3月頃、源田参謀は、次期
戦闘機の性能について、会議の席で誤った
判断を述べ、後日訂正し、関係者と大西
参謀長に詫ました。

 これに対し、大西参謀長は以下のように
諭しました。「何を言っている。我々は、
何が国家のためになり、何が国家の発展に
役立つのか、それを標準としてものを考え、
行動を律すべきだ。

 会議で言ったことは、あれでよい。横空の
面目など問題ではない。我々は、国家の
ために有利となれば、無節操、無定見と
罵られようと、毫も意に介すべきではない。」
としています。

 源田参謀は、「これほど胸を打ったものは
ない。大西参謀長が逸材であるとは感じて
いたが、この時から、底の知れない人だと
考えを深くした。」としています。

 大西参謀長と、源田参謀が一緒に勤務
したのは、1934年暮~1935年暮までの
1年ほどで、それ以外はありませんでした。
しかしこの1年間は、他の数年間に匹敵する
意義があったとしています。

 さらに、源田参謀は、「大西参謀長ほど、
兵術思想や人生観に大きな影響を与えた
人はいなかった。」としています。

 源田参謀は、「国家のために有利と
なれば、無節操、無定見と罵られようと、
毫も意に介すべきではない。」が気に
入ったようでした。

 しかし、この後の源田参謀の見識を
見ると、国家のためになっているとは
到底言えません。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。