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源田実参謀 福留参謀長が起こした大問題 [源田実航空作戦参謀]

 福留参謀長らは、捕虜になった一連の
事件でとんでもない問題を引き起こして
いました。

 不時着した時に福留参謀長の手提げ
カバンが、フィリピンの漁民に拾い
上げられていました。このカバンには、
Z作戦の詳細な機密図書と、暗号書が
入っていました。

 Z作戦は、これから行われる、「あ号作戦
(マリアナ沖海戦)」や、「捷一号作戦
(フィリピン沖海戦)」の原案になるもの
でした。

 これらが敵の手に渡れば、連合艦隊の
戦備と作戦企図は全て明らかになり、
敵は、打ち破る手段を講ずることが
できます。

 戦後明らかになったことですが、この図書は、
オーストラリアの陸軍情報部に運ばれ、複写
されて、英文に翻訳され、実物と、翻訳書は、
真珠湾の海軍情報部に送り届けられています。

 結果論ながら、中島中佐の意見どおり、
パラオに留まった方が良かったということに
なります。

(追記)
 この当時でも、アメリカ軍との戦力差は
歴然としており、これらの情報がなくても
アメリカ軍は勝利したでしょうが、被害は
相当に減らせたと思われます。

 上記の福留参謀長の一連の行動で思うのは、
一般兵士には捕虜の辱めを受けるなと言って
いる上層部が、機密情報の処理もせずに
捕虜になり、生き恥をさらしているのは、
どういうことかということです。

 日本は、組織で問題が起こると、上層部は
逃げ出し、対策は一般作業者への徹底で済ます
傾向がありますが、福留参謀長は、その典型に
なっていると思われます。

 組織上の問題は、どのような理由付けが
あれ、最初に責任を追うのはトップであり、
トップが処罰されない限り、組織が
変わることはないと断言できます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 古賀連合艦隊司令長官 [源田実航空作戦参謀]

 古賀連合艦隊司令長官の指揮所がある
西カロリン諸島のパラオ島が、1944年
3月30日~31日の2日間に渡って、
アメリカ機動部隊の大空襲を受けました。

 港内の艦船がほとんど撃沈され、飛行機
90機が撃破され、2百数十人が死傷し、
軍事施設、工作施設が壊滅しました。

 福留参謀長は、30日の夜、作戦会議で
提案した通り、連合艦隊司令部を、
フィリピンのミンダナオ島の
ダバオに移動することに
なりました。

 これに対し、情報参謀の中島中佐は、
「ダバオは通信施設が貧弱で、司令部の
機能を発揮できない。

 空襲は、おそらく明日だけで終わるから、
パラオに留まるほうが良い。」とし、
福留参謀長の提案に反対しました。

 しかし、中島中佐の意見に賛成する
ものはなく、結局、提案した中島中佐のみ
残されて、長官以下司令部は全員飛行艇に
分乗してパラオを飛び立ちました。

 2機は、ミンダナオ島に近づくうちに、
異常な低気圧にぶつかり、古賀長官の
乗る一番機は行方不明となり、福留
参謀長らが乗る二番機は、セブ島沖の
洋上に不時着しました。

 そして福留参謀長らは、フィリピン
ゲリラの捕虜となりました。ゲリラと
日本陸軍の間で、4月10日に捕虜を
引き渡す代わりに、日本軍がゲリラに
対する攻撃を中止するという条件で
話がつき、福留参謀長らは、翌日に
解放されました。

 古賀長官は、消息不明で殉職と認定され、
1944年5月3日、豊田副武大将が
連合艦隊司令長官に任命されました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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