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源田実参謀 トラック空襲 [源田実航空作戦参謀]

 トラック空襲は、スプルーアンス中将が
指揮する大型空母4隻、軽空母5隻を
基幹とするアメリカ主力機動部隊から
発進した飛行機隊が行いました。

 しかも、アメリカの航空隊は、夜も
レーダーを利用して来襲し、爆撃
しました。

 空襲は、空母艦載機延べ570機が、
24時間に渡り攻撃を行いました。この
空襲で、軽巡洋艦2隻、駆逐艦4隻、
輸送船30隻、その他沈没、飛行機
300機喪失、600人死傷というもの
でした。

 トラック空襲は、真珠湾攻撃の借りを
返された形となりました。しかし、一過性の
攻撃で満足した南雲長官と違い、24時間
執拗に繰り返されました。

 この時に、日本海軍の主力がトラック島に
いたら、この場で壊滅していたと思われます。
そうならなかったのは、輸送船や一部の艦船を
囮にして逃げ出したからでした。

 トラック島の大惨事を知った古賀連合艦隊
長官は、ラバウルの全海軍兵力にトラックへの
移動を命じました。

 同地にいた第二航空戦隊残存機46機と、
陸上機100機以上は、2月20日までに、
ラバウルを去り、トラック島に移りました。

 トラックは、日本本土にとって、母屋の門ような
位置にあり、ここを占領されれば、次は玄関の
マリアナに踏み込まれることになります。

 こうなった根本の原因は、開戦時に連合艦隊
司令長官だった山本長官の狂気と言うべき
戦略に沿った戦争を行い、当然の結果として
戦略が破綻したからでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 ギルバート上陸 [源田実航空作戦参謀]

 マーシャル諸島南方にあるギルバート諸島の
日本海軍根拠地タラワ、マキンに、1943年
11月19日に、かつてない規模のアメリカ
空母の艦載機隊が来襲してきました。

 正規空母6隻、軽空母5隻、護衛空母8隻、
新型戦艦5隻、旧型戦艦7隻、その他巡洋艦、
駆逐艦多数という途方もない大海上部隊でした。

 この部隊は、中部太平洋を突破し、日本
本土を進攻することを任務としていました。
ギルバートの上陸は、手始めとして開始
された作戦でした。

 戦艦、巡洋艦、駆逐艦は、味方艦船の護衛、
上陸地に対する艦砲射撃を任務としていました。
タラワ、マキンの日本海軍守備隊は、6倍、
あるいは20倍のアメリカ状陸軍と5日間に
渡って戦い、アメリカ軍に1000人以上の
死傷者を出させましたが、11月25日に
全滅しました。

 第31駆逐隊香川大佐率いる、「大波」
「巻波」「天霧」「夕霧」「卯月」の駆逐艦
5隻は、1943年11月24日夜、ラバウルで
乗せた陸軍部隊約900人を、ブカ島に
上陸させることができました。

 しかし、帰り道で、アメリカ軍5隻の
駆逐艦に襲われ、3隻が撃沈されました。
日本軍が得意とした夜戦も、レーダーを
装備したアメリカ軍には、通用しなくなって
いました。

 アメリカ軍は、さらなる大規模な航空機に
よる攻撃を実行に移しました。それが、
トラック島の大空襲でした。

 この空襲は、山本長官の狂った計画で
行われた真珠湾攻撃とは、雲泥の差
でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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