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源田実参謀 アメリカの2面作戦 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀が、根拠のないカロリン諸島に
敵が来るという判断していた頃、アメリカの
統合参謀本部では、戦略計画を発令
しました。

 内容は、「ニューギニア中央北部海岸は、
4月15日に攻撃することで承認していました。
その上で、トラックは、徹底的に叩いて
放置すると決めました。

 6月15日に、ニミッツ大将の部隊は、
マリアナ諸島に侵入し、9月15日に
パラオに向かう。

 マッカーサー司令官のミンダナオ侵攻は、
11月15日とし、ニミッツ大将の部隊は、
マッカーサー司令官の作戦を支援する。

 その後、ルソンと台湾のどちらに向かうかは
未定だが、目標は、1945年2月15日とする。」
というものでした。

 海軍の中部太平洋進攻作戦と、陸軍の
南西太平洋進攻作戦の妥協案でした。
マッカーサー司令官は、陸軍案に沿って、
ホランジアに上陸し、作戦を進めていました。

 日本側では、海軍の中部太平洋進攻作戦と、
陸軍の南西太平洋進攻作戦の両方に対応
しなければならなくなりました。

 マッカーサー司令官は、1944年5月27日、
ニューギニア北西のビアク島上陸作戦を
開始しました。当初は8月に予定して
いましたが、入手したZ作戦計画から、
準備が整う前に動くほうが得策と
判断しました。

 さらに、ニミッツ大将も、6月15日に、
サイパンの上陸作戦を開始することに
なっていたので、日本海軍は、サイパンに
上陸すれば、こちらに移動するだろうという
判断もしていました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 あ号作戦発令 [源田実航空作戦参謀]

 豊田大将が連合艦隊司令長官になった
1944年5月3日、軍令部は、
「あ号作戦」を発令しました。

 軍令部の総長は、海相を兼務している
嶋田大将で、作戦は小沢中将の機動部隊と、
第一航空隊を指揮する角田中将の部隊を、
アメリカ機動部隊に叩きつけ、撃滅
しようというものでした。

 この2ヶ月前に、小沢長官が率いる機動
部隊には、大鳳、翔鶴、瑞鶴などの空母9隻を
中心とする第三艦隊と、栗田中将率いる大和、
武蔵、など戦艦5隻と、重巡洋艦10隻、その他の
第二艦隊からなる大部隊を編成していました。

 この時、軍令部第一課部員だった源田参謀が
発案し、1943年7月1日に発足し、
1944年2月15日に連合艦隊に
編入された第一航空艦隊を、
基地を移動しながら作戦を行う、
基地航空部隊としています。

 予定総数は、1000機以上という大部隊で、
サイパン、テニアン、グアム、トラック、パラオ、
ヤップ、ダバオ、豪州北方、セレベスの
各方面に配備される予定でした。

 軍令部は、敵は西カロリン諸島南方、
連合艦隊が予想する決戦海面の第一が、
パラオ島付近、第二が西カロリン諸島付近
でした。

 敵が西カロリンに来ると予想していたのは、
源田参謀の考えでした。軍令部の作戦室で、
嶋田総長を前にして敵がマリアナに来るか、
カロリンに来るか討論することになりました。

 この会議に参加していた大井大佐は、
源田参謀が、極めて強い口調で、
「カロリンに来る」
と断定しているのを目撃しています。
そして、自信の強さに驚いたとしています。

 しかしながら、今まで同様、源田参謀の何の
根拠もない空想であり、軍令部は、根拠に基づき
議論すべきだったと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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