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源田実参謀 あ号作戦決戦準 [源田実航空作戦参謀]

 1944年6月9日、千早少佐は、
彩雲に乗り、マーシャル諸島の
メジュロ上空に飛びました。

 5月30日と、6月5日も実施して
いましたが、この時は、大型空母6隻を
確認していました。

 しかし、この日は、メジュロには
敵艦隊の姿はなく、出撃したことは
確実となりました。

 千早少佐の報告を受けた連合艦隊は、
「あ号作戦決戦準備」を発令しました。

 メジュロを出撃したアメリカ大機動部隊は、
6月11日、マリアナ各島の空襲を開始
しました。中島情報参謀は、敵の通信から、
「マリアナ攻略作戦」であると断言しました。

 この根拠を、「アメリカ海軍の軍隊区分が
マッカーサー軍と一緒のものと、海軍独自の
ものがあることを、軍令部のアメリカ大陸
情報担当から聞いて知っていた。

 マッカーサー軍は南を進むので、海軍
独自のものは、中央を真っ直ぐに来るに
違いないと判断していた。通信も、
5月はじめ頃から動き出して、
その頃から真中警戒と言って
いた。

 マリアナ空襲は、アメリカ海軍の通信
状況から、海軍独自の部隊で、マリアナ
攻略作戦に取り掛かってきたと思った。」
としています。

 根拠のない源田参謀の言よりよほど
論理的と言えます。しかし、軍令部は、
この時点でもマリアナ攻略作戦と見て
おらず、アメリカ艦隊がサイパンに
艦砲射撃をした6月13日になって、
やっと悟ったという状態でした。

 「あ号作戦決戦用意」が発令されたのは、
アメリカ軍が空襲を始めた6月11日より、
2日も遅い6月13日となりました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 場当たり的な対応 [源田実航空作戦参謀]

 マッカーサー司令官が、ビアク島上陸
作戦を開始した頃、ニミッツ大将は、
日本海軍がビアク島にひっかかって
いる間に、サイパン上陸作戦を
開始しようと考えていました。

 豊田長官は、角田第一航空司令長官に、
パラオ方面の戦闘機70機、艦上爆撃機16機、
偵察機4機をハルマヘラ島方面に転進させる
ように命じました。

 その後も、豊田長官は、ビアク島方面に
飛行機隊を増派し、その機数は、
延べ480機となりました。

 5月29日には、ビアク島奪回の、「渾作戦」を
発令しましたが、暗号を解読してまと構えていた
アメリカ艦隊に反撃されて失敗しました。

 ビアク作戦のために西カロリン、豪北方
方面に転進した航空部隊は、飛行場の不良、
戦闘などによって、半数の航空機を失い、
さらに搭乗員の多くがマラリアに冒され、
壊滅状態に陥りました。

 こうなった原因の一つは、源田参謀の敵が
カロリンに来るという根拠のない言によるもので
あることは間違いありませんでした。

(追記)
 戦争では、「現有戦力で、最も効果的な
戦術を展開するためには、どうすべきか」
ということを、上層部は常に考えておく
必要があります。

 そのために重要なのは、どの地点を残し、
どこを切り捨て、どこで決戦をするかという
ことになり、そのために敵を誘導するには
どうするかということを、考える必要が
あります。

 しかしながら、上記の対応を見る限り、
連合艦隊司令部も、作戦を考えている
軍令部も、これらの点を考慮している
という姿が見えず、場当たり的に現地の
司令官に出撃を命じているとしか
思えないような行動をしています。

 劣勢の軍がこのようなことをしていて、
勝てる道理はないと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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