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源田実参謀 艦隊司令部からの苦情 [源田実航空作戦参謀]

 ミッドウェーの教訓を知らずに、前衛部隊を
設置するという戦策を作り上げた末国参謀
ですが、この案は、前衛部隊から、「我々を
犠牲にして、空母だけうまいことをやろうと
いうのか。」と散々苦情を言われることに
なりました。

 これを迎えた、南雲長官と一緒に横滑り
してきた吉岡参謀は、末国参謀に、「艦隊
司令部の計画は、非常に理論的で緻密
です。

 第一機動部隊司令部とは、格が違います。
この司令部が、ミッドウェーに行っていたら、
案な戦はしなかったでしょう。」と言われ
ました。

 これを聞いた末国参謀は、「第一機動部隊
司令部は、勘で戦っていたのか。」と思ったと
しています。末国参謀は、南雲長官や草鹿
参謀長らについて、戦後に以下のような
言及をしています。

 「南雲長官は何も言わない。仕えた長官の
中で最も何も言わない人でした。草鹿参謀長も
ほとんど何も言わない。私が、起案して持って
ゆくと、“ああ”と言って印を押してくれた。

 これをどう考えろとか、これをどうせいと
言われた記憶はぜんぜんない。いつも
無条件で通った。

 同期の源田参謀は、印象に残っていない。
戦後もよくつき合ったが、ミッドウェーの
ことは、いっぺんも聞いたことがなかった。」
としています。

(追記)
 上記の末国参謀の言を見ると、南雲長官や
草鹿参謀長は、全く仕事をしていなかった
ということになります。部下のやることに、
箸の上げ下げまで指導するようなことは、
弊害がありますが、放任もダメな態度です。

 上司は、方向性を示して部下に行動を促す
ようなことをしないと、部下は、自分の権限の
範囲内のことしかしなくなります(南雲長官や
草鹿参謀長は、このようなことができない
無能上司だったということでしょう)。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 砲術参謀 [源田実航空作戦参謀]

 新機動部隊では、ミッドウェー海戦の索敵
不足という問題の改善として、索敵用の水上
偵察機を多数搭載している高速戦艦2隻と
重巡洋艦3隻を、空母の185km以上前方に
横一線に散開させるという戦法をとりました。

 この前衛部隊は、攻撃隊が帰還してきた時の
誘導と、敵損傷艦の補足撃沈が、索敵の他に
任務となっていました。航空機主兵という
考えを徹底したと言えます。

 幕僚も強化されました。ここで目を引くのは、
第一機動部隊にはいなかった砲術参謀が、
機動部隊司令部に配属されたことです。

 砲術参謀として乗り込んだ末国正雄中佐は、
源田参謀と同期の人物でした。

 末国参謀は、着任した時、南雲長官から
30分もの訓示を受けました。内容は、「第1
艦隊には、砲術参謀と戦務参謀はいなかった
こともあるが、艦隊防空ができていなかった。
砲術はやらずに、艦隊防空をやれ。」という
ものでした。

 しかし、南雲長官も、草鹿参謀長も、ミッド
ウェー海戦の事は語らず、逆に聞くなという
有様で、末国参謀は、ミッドウェー作戦の
内容は、少しも教えてもらえませんでした。

 それでも、前衛部隊を前方に出し、防空
担任の軽空母を配備するという戦策を
作り上げました。

(追記)
 話さなかったのは、指揮のまずさを
指摘されることを、恐れてたからでしょうが、
失敗事例を後任に教えないという時点で、
南雲長官や草鹿参謀長は、無責任の
そしりを受けるべき重罪を犯していると
言えます。

 大敗北を喫した指揮官らは、山口少将の
ように戦場で潔く戦死するか、生き残って
責任の追求を受けるかのどちらかの
道しかなく、南雲長官らは、生き恥を
晒していると言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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