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源田実参謀 ガダルカナル島 [源田実航空作戦参謀]

 1942年8月7日、ソロモン諸島南東部の
ガダルカナル島に、アメリカ軍が上陸し、
翌日には、日本海軍が作ったガダル
カナル島の飛行場が占領されました。

 山本長官は、「陸海軍協同で、ガダル
カナルを奪還し、再奪還に押し寄せてくる
アメリカ艦隊を撃滅する。」と決意し、
軍令部と陸軍の同意を得ました。

 しかし、ガダルカナルは、遠すぎました。
南東方面の日本軍本拠地のラバウルからは、
1100kmもあり、零戦は4時間も
飛び続けて、上空に到達しても
15分しか空中戦ができず、
それ以上やると、ラバウル
手前で不時着しなければ
なりませんでした。

 艦船では、高速の巡洋艦でも、1日以上
走らなければ到達しませんでした。途中には
島があるものの、飛行場や補給基地は一箇所も
ありませんでした。このような状況でも、
山本長官は、作戦を強行しました。

(追記)
 本来であれば、ミッドウェー海戦後は、
絶対防衛ラインまで撤収させ、防衛ライン内の
基地の要塞化を推し進めると同時に、資源
確保のために、インド洋制圧するというのが
本来の戦略と言えます。

 山本長官は、自分が拡大させた手前、
撤収手集の指示が出せない自縛に陥って
いると感じます。ガダルカナルでの作戦
強行は、真珠湾やミッドウェ-同様の
愚策としかいえず、山本長官を更迭
しなかったことの弊害と言えます。

 (個人的には、山本長官は、更迭では
生ぬるく、ミッドウェーでの敵前逃亡罪で
軍法会議をかけた上での死刑が、最も
ふさわしかった感じています)。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 草鹿参謀長 [源田実航空作戦参謀]

 第2艦隊から、機動部隊の通信参謀に
移った中島参謀は、着任時に南雲長官より、
「ミッドウェーでは、索敵と通信が悪くて、
失敗した。特に通信の訓練をしっかり
やってもらいたい。」と、指示されました。

 ミッドウェー海戦の状況を調べると、戦務の
不手際が目立ちました。そこで、敵発見の
報告要領などの訓練にも努力することに
しました。中島参謀は、草鹿参謀長に
ついて、以下の言及をしています。

 「草鹿参謀長は、無刀流の達人で、中学生の
頃から参禅していたというが、凡人には捉え
どころがない大人物だったようです。しかし、
私は、参謀長が、断固たる決意を示した
場面を見たことがない。

 ミッドウェー海戦の時に、草鹿参謀長は、
“泰然と腰を抜かしていた。”と誰かが冗談を
言っていたが、その観なきにしもあらず
だった。」としています。

(追記)
 以前、草鹿参謀長と同期の友人である
木村昌福中将のことを紹介しています。
この時、木村昌福中将は、草鹿参謀長の
ことを、兵学校同期の中で、成績優秀の
出世頭としていました。

 無刀流の達人であり、成績優秀となれば、
木村昌福中将が、成績優秀の出世頭と
見えたのも当然と言えます。しかし、いざ
実戦となると、まるで能力を発揮できて
いないと言えます。

 むしろ、周囲りから突き上げを受けながら、
自分の信念に従い、キスカ島からの無被害
(犬を数等置き去りにしていますが)で、
完全撤収をやり遂げた木村昌福中将の方が、
遥かに能力が高いと感じられます。

 学校の成績と、実務能力の間には、
大きな隔たりがあることを示していると
言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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