SSブログ

源田実参謀 台湾沖航空戦の真実 [源田実航空作戦参謀]

 台湾沖航空戦では、空母を9隻以上撃沈
という報告がなされていました。このことに
ついて、連合艦隊情報参謀だった中島中佐は、
この頃のことを以下のように語っています。

 「日本の母艦でもなかなか沈まない。
もっと頑丈にできているアメリカ空母が
そんなにたやすく沈むわけがない。

 T部隊は、何機攻撃、何隻轟沈と言うが、
もっと理詰めに考えなければいかんと思った。
連合艦隊司令部では、淵田美津雄航空
参謀が、私の意見を受けいれてくれた。

 ところが、そう言いながら報告は大戦果に
してしまう。“連合艦隊でそれを絞らなければ
いかんじゃないですか。”と私は言った。

 これに対し、“そんな下から報告してくる
ものを、現場を見ないで値切れるか”と
返答された。

 草鹿参謀長は、“下からの報告は、いちおう
そのまま通したけれど、自分としては作戦
計画上は、戦果を半減して計画していた。”
としている。

 私は、半減でも大きすぎる。“ゼロに近い”と
私は何べんも言ったが、関係者は、どうしても
都合の良い方に引っ張られるようだった。」

 真実は、中島中佐の言の通りです。台湾沖
海戦の航空隊の戦果に疑問を持っていたのは
中島中佐だけではありませんでした。

 海上護衛総司令部参謀の大井篤大佐も
同様に考えていました。1944年8月頃で、
電探を使える偵察部隊を持っていたのは、
海上護衛部隊だけでした。

 敵の潜望鏡を発見できる程度の能力を
持っていた901空です。台湾沖航空戦の前、
901空の電探部隊は、連合艦隊の指揮を
受けることになりました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

源田実参謀 台湾沖航空戦 [源田実航空作戦参謀]

 1944年10月10日、沖縄方面を
攻撃したハルゼー大将は、翌日に、
ルソン島北部を襲い、日本側は
18機、アメリカ軍は、7気を
失いました。

 同艦隊は、10月12日~14日の
3日間に、台湾の航空機と陸上基地を
攻撃しました。

 この3日間で、アメリカ軍が動員した
航空機は、12日が延べ1378機、
13日が延べ974機、
14日が延べ264機とB29104機という
大攻勢でした。

 これらの攻撃にも、入手した「Z作戦計画」が
利用されていました。ハルゼー艦隊の攻撃に
対し、日本陸海軍攻撃部隊は、10月12日~
16日にかけて、総力を上げて反撃しました。

 南九州、台湾に展開した福留中将指揮の
第六基地航空部隊が当たりました。他にも、
連合艦隊命令で派遣された小沢中将指揮の
205機、九州鹿屋基地の「T攻撃部隊」
150機、陸軍攻撃部隊などが、参加
しました。

 これらの中で、頼みの綱は、T攻撃部隊と、
小沢中将指揮の653空(空母艦載機)でした。
10月12日から5日間に渡って行われた、
日本航空部隊と、ハルゼー艦隊の戦闘は、
「台湾沖航空戦」と称されました。

 この「台湾沖航空戦」でも、過去の失敗を
まったく活かすことなく、同じ失敗を
繰り返すことになります。

 航空部隊から上がってくる全く根拠のない
戦果報告を、大戦果として報告するという
ことをしていました。そして、この攻撃に
より、T攻撃部隊は、航空機126機、
搭乗員109機を失いました。
 

紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。