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源田実参謀 零戦開発秘話 [源田実航空作戦参謀]

 零戦の開発において、不可解なことが
あります。零戦開発者の堀越技師と、
奥宮中佐は、戦後、「零戦」という
著書を出版しています。

 この中に、零戦の用途として、本来
無視されていた柴田大尉の主張である
「援護攻撃機」という記述がありました。

 この著書を見た柴田大尉は、慨嘆して、
著者である二人に、これは戦後の作文では
ないかと問いただしました。

 二人の回答は、自分の著書でありながら、
誰が書いたのかわからないと、謝罪していた
ということでした(源田参謀が、裏で糸を
引いていたのではないかと感じます)。

 零戦については、空戦第一主義の源田
参謀と、航続距離第一の柴田大尉の意見を
折衷して、作っています。

 この2つを両立したことで、名機と
言われますが、これができたのは、
防御を無視したからでした。

 防御を施せば、機体重量は重くなり、
大出力のエンジンがないと、どちらの
要求も満足することはできません
でしたが、当時の日本には
ありませんでした。

 さらに、20mm機銃は、アメリカの
重防御の航空機にも効果があったものの、
命中率が低く、60発しか積んでいない
ため、すぐに撃ち尽くしました。

 7.7mm機銃は、命中率はいいものの、
油が漏れて火を噴くような状態にならないと
効果がありませんでした。

 終戦間近になり、13mm機銃用の
炸裂弾が完成しましたが、時すでに
遅しでした。

 柴田大尉が主張していた通り、命中率を
向上させ、弾薬などを改良するという
研究をしていれば、もう少し早く対応
できていたといえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 戦艦無用論を唱えた頭脳 [源田実航空作戦参謀]

 戦艦大和と武蔵は、予定通り建造され、
全ての戦艦が廃棄されなかったことに、
源田参謀は、はなはだ不満でした。

 「航空関係の一部で主張された戦艦
無用論が、この時期に当局によって
受け入れられ、機を逸せず思い切った
軍備方針の転換が行われたならば、
大東亜戦の様相は、もっと違った
経過をたどったであろう。

 日本が終局の勝利を得るためには、
政治面のあり方に根本的な変更を必要と
したかもしれないが、戦争はもっと少ない
犠牲で、済んだであろうことが考えられる
のである。」としています。

 しかしながら、これまでの戦術展開を
見れば、戦艦無用論を唱えていた人物の
頭脳では、さらに犠牲が出ることが確実と
言えます。

 戦艦無用論と一緒に唱えていた戦闘機
無用論を唱えている時点で、余計な犠牲が
増えることになります。

 このことを象徴するのが、零戦の開発に
おける論争です。この時、源田参謀と対立
していた柴田大尉が、大西参謀長に
不当な仕打ちを受けています。

 当初、零戦は、敵攻撃機と、戦闘機、
観測機の撃墜ができる航空機とされて
いました。これは、源田参謀の案が
強く反映されています。

 しかし、完成した零戦は、柴田大尉の
主張である、長航続距離も備えていました。
結果として、零戦は、空母の攻撃機の護衛
という役割を十分に果たすことができる
戦闘機として完成したことになります。

 もし、源田参謀の案の通り、零戦が航続
距離を無視された戦闘機として作られて
いたら、機動部隊の攻撃機は、攻撃前に
敵に撃墜されて、終わっていたという
ことになっていたはずです。

 零戦が名機になったのは、柴田大尉の案が
取り入れられたからということになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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