SSブログ

駆逐艦夕雲 罐室から退避 [駆逐艦夕雲]

 夕雲が飛雷した時、著書の及川氏は、
気罐長として、罐指揮所(第二罐室)に
戦務中でした。

 百雷落下を思わせるものすごい轟音と
ともに、艦が上下左右に激しく揺れ動き
ました。

 一瞬体が宙に舞い、とっさにやられたと
直感したとしています。周りの戦闘員も、
ことごとく転倒、あるいは、尻もちを
ついていました。

 しかし、夕雲の計器を見ると、1~3号の
罐室に異常はなく、最大燃焼を続けて
いました。

 被弾したのは、機関室以外と判断した
及川氏は、機関長に連絡を取るよう伝令に
命じました。しかし、伝令の返事は応答が
ないということでした。

 続いて艦長に連絡をとるよう命じましたが、
艦橋からは全く返事がないということでした。

 先任下士官に、上甲板を見てくるように命じ、
伝令に、第一及び第三罐室の被害の有無を
報告するよう命じました。ほどなく、第一、
第三罐室は、異常がないことが報告されました。

 しかし、上甲板を見に行った下士官から、
「艦橋から前部が左に折れ、猛烈な火災で
上甲板には、海水が上がっています。」と、
大声で、返事がありました。

 上甲板に海水が上がっているということは、
夕雲が沈みつつあるということを示して
います。及川氏は、直ちに、第一~第三
罐室の乗員は上甲板に上がるよう
指示しました。

 全員退避したことを確認すると、及川氏は、
上甲板に駆け上がりました。上甲板は、膝を
没する海水が溢れ、前部は、艦橋もろとも
左に折れ傾き、真っ赤な炎に包まれて
いました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早霜」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦夕雲 諸元 [駆逐艦夕雲]

 今回から、
著名:駆逐艦「神風」電探戦記
著者 「夕雲」及川幸介、「早霜」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
出版 光人社NF文庫
を元に、駆逐艦夕雲、早霜、神風の
3隻を紹介していきます。

 この著書は、以前、雪風、及び、響で
紹介しております。この当時は、駆逐艦
夕雲、早霜、神風は、艦これには登録
されておらず、紹介しておりません。

 現状、この3隻とも、艦これに登録されて
います。

 最初に駆逐艦夕雲の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。

日本海軍の夕雲型駆逐艦1番艦。
起工(工事を始めた時期)   1940年6月12日
進水(始めて水に触れさせた時期) 1941年3月16日
就役 1941年12月5日竣工
最期 1943年10月6日戦没

排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.5kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時)
50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 II×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門(九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

 なお、著書の夕雲のタイトルは、
“地獄の海に記された夕雲奇蹟の生還記
ソロモン海の死線を越えた27人の奇蹟の敵中漂流録“
”となっております。

 タイトルの通り、夕雲に乗り込んでいた著者の
及川幸介氏が、夕雲が撃沈された後の漂流記を
紹介しています。

(追記)
 夕雲の戦歴としては、ガダルカナル撤収作戦に
3回参加したというものがあります。

 この著書は、第二次ベラ・ラベラ海戦の際に
夕雲が魚雷を受けて沈没したことから始まります。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早霜」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。