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源田実参謀 343空での活躍 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀は、1945年1月20日、
フィリピン方面にあった343空を、
愛媛県松山基地で編成しなおし、
その司令官に自分自身が、
大佐として就任しました。

 所属の航空隊は、最新鋭の紫電改に
よる戦闘機隊でした。源田参謀は、
「各飛行機の隊長は、それまでの
戦闘経験において、闘魂、識量抜群で
あると認められる人々である。

 また、下にいる搭乗員は、相当
未経験者もいたが、各編隊の核心と
なるような者は、これまた歴戦の
小強者が相当数入っていた。」
と評する精鋭部隊でした。

 343空は、数ある日本軍戦闘機隊の
中でも抜群に強く、その戦果は、赫々
たるものであったと伝えられています。
源田参謀は、5ヶ月の期間に170機
撃墜し、74機の損害を出したとして
います。

 しかし、これまでの通り、源田参謀が
指揮してまともな戦果になった試しはなく、
戦果は証拠もない上に、アメリカの資料にも
そのような大損害は記録されていませんでした。

 航空参謀が、松山基地におもむき、
搭乗員に質問したが、明らかな証拠は
説明できず、「撃墜数は信用できない」と
いう結論になっています。

(追記)
 343空は、終戦7日前の8月8日まで、
激闘を続けています。3月19日の呉方面の
空襲のときも敵艦載機大群と戦っています。

 源田参謀が集めた飛行隊長は、3人
いましたが、全員戦死しています。

 源田参謀は、他部隊から、「いい搭乗員と
いい飛行機を集めるのは自分勝手だ」という
批判を受けています。

 それに見合った戦果をあげたとは
認められず、この批判は正面から
受け止めなければならないもの
だったといえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 第343海軍航空司令に就任 [源田実航空作戦参謀]

 台湾沖海戦、及び、レイテ沖海戦に大敗し、
軍令部のおける源田参謀の役割は、
なくなりました。

 「1944年末期、戦争に負けているのは、
海軍が主役の海上戦に負けているからだ。
海上戦に負けているのは、航空戦で圧倒
されているからであり、それは、戦闘機が
制空権を獲得できないからだ。

 要するに戦闘機が負けるから戦争に
負けるのだ。自分は戦闘機隊の出身で、
航空作戦の主務参謀となっている。

 これからは、精鋭無比な戦闘機隊を作り、
見つけた敵を片っ端から、撃ち落とすような
部隊を持ち、敵の進撃を止める。」

 このような考えから、源田参謀は、
第343海軍航空隊司令に就任
することにしました。

 戦闘機無用論を唱えて、攻撃体優先で
戦いを進めた本人が、戦闘機主兵論に
主旨変えしたようでした。

 以前、大西参謀長から聞いた、
「昨日、右と言ったことを、今日左と
いうのも、国のためという一事を
踏み外さなければよい。」を
実践していると言えます。

 しかし、遅すぎますし、国家より、
自分の保身のための主旨変えという
印象を受けます。戦闘機の司令官に
なったところで、どれほどの貢献も
できないと言えます。


 むしろ、特攻隊の責任者として、
指揮官となり、自ら先頭に立って、
敵機動部隊に体当りした方が、
偉大だと言えます。

 それができていない時点で、
ミッドウェーで自らの責任を全うした
山口少将(個人的には、山口少将の
ミッドウェー海戦での敗戦責任は、
飛龍と運命をともにしなければ
ならないほど大きいとは思って
いません)とは、比較に
ならないと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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