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源田実参謀 反省しない組織 [源田実航空作戦参謀]

 T部隊を創始した源田参謀は、以下の
ように語っています。

 「軍令部第一課に勤務した2年間に、
わが軍の頽勢を挽回しようと、色々のことを
企画した。実施に移した、「あ号作戦」は、
前述のごとく失敗した。

 T部隊が、実施に入った時、“大成功だ。
これで敵の進撃を食い止めることができた。」
とも考えた程だったが、台湾沖航空戦後も、
進撃に緩みは見えなかった。」としています。

 航空機のみで敵艦隊を撃滅できないことは、
ブーゲンビル航空戦以降のアメリカ機動部隊の
ことを全く研究していなかったと言っているに
等しく、一時でも「大成功」と思ったあたり、
能力に疑問があったと言えます。

 しかも、前回の失敗を全く反省せずに、
同じような作戦を立案してさらなる
失敗を招いているにもかかわらず、
反省が見えません。

 国家の利益のためというのが軍令部
(大本営)の言い分ですが、所属している
個人を守るために、反省してないという
結論になりそうです。

 しかも、この後、立案した大西参謀長
自身が、「統率の外道」という戦法が
実行に移されました。神風特別特攻隊
です。

 編成されたのは、1944年10月20日で、
マニラ北方のマバラカット基地において、
関行男大尉以下25名でした。

 250kg爆弾を抱いた零戦に乗り、
アメリカ空母に体当りせよという
命令でした。

 この戦法が外道であることは当然ながら、
さらなる問題は、立案者が実行しておらず、
前途有望な若者だけを飛び込ませている
ことです。

 佐官以上で特攻したのは、野中五郎少佐
ただ一人でした。立案者の大西参謀長は、
戦後自害しています。

 責任はとったと言えるのは、この二人くらいで、
参謀で特攻した人は一人もいませんでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 大本営のペテン [源田実航空作戦参謀]

 台湾沖航空戦の状況は、これまで紹介
しました通り、ほぼゼロに近いと言えます。
にもかかわらず、大本営は、10月19日に、
次のような発表を行いました。

 「戦果は、航空母艦撃沈11隻、戦艦2隻、
巡洋艦3隻。撃墜112機。東方の損害は、
312機。」

 これを聞かされた日本陸海軍将兵、
日本国民は、陸海軍航空部隊の盛況さに
驚嘆し、マリアナ諸島を奪われての
絶望から希望を取り戻しました。

 連合艦隊と軍令部は、全国民をペテンに
かけたと言えます。しかもこのペテンは、
この後の作戦に大きな影響を与えました。

 陸軍の参謀本部は、フィリピン決戦を
ルソン島に限定していましたが、この
戦果を受けて、レイテ島の地上決戦を
行うことに決定しました。この結果、
惨憺たる結果に終わりました。

 栗田中将率いる大和以下の艦隊は、
航空機の護衛もなく、レイテ沖に突入
するという作戦に出撃し、損害が
広がったことで、突入前に反転
しています。

 栗田中将の敵前逃亡は大問題ですが、
根本の問題は、台湾沖航空戦で、747機
あった兵力を300機以下に激減させたこと
でした。これにより、制空権を奪われることに
なりました。

 軍令部と連合艦隊が、能力に疑問があると
思える人物(源田参謀や淵田参謀など)に、
作戦計画作戦や指導を任せ、戦果判断を
間違えた罪は大きいと言えます。

 無能な人物が上層部にいる組織は、将兵が
いかに強力でも戦争には勝てないと言えます。
羊に率いられた100匹のライオン集団より、
ライオンに率いられた羊100匹の集団の方が、
強いという現実を示しています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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