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巡洋艦最上 グアム島 [巡洋艦最上]

 呉を出撃した第7戦隊は、豊後水道沖で、
駆逐艦荒潮、朝潮と合同した後、一路
南下しました。

 この頃は、敵潜水艦による警戒網は厳重に
張り巡らされていたようで、出没状況が、
入電していました。少なからず神経を使い、
警戒を怠りなく数日が過ぎていきました。

 気温は南洋なみで、乗員は、防暑服を
着用し始める頃、戦隊は無事にグアム島
アプラ港に到着しました。

 この日の午後、4人の最上型巡洋艦艦長は、
旗艦に集合し、この度の作戦一般の打ち
合わせと、指示を受けて帰還しました。

 この日の夕刻、寸暇を得た曾禰氏は、
三隈の崎山艦長と陸上視察におもむき
ました。曾禰氏が、グアムの地を
踏むのは、これが最初でした。

 この時は、これが、崎山艦長との永久の
別れになるとは、夢想だにしていません
でした。陸上視察中に、重油500tと、
清水70tの積み込みも完了しました。


 グアム島は、サイパン、ロタ島などに
近い島で、わが国の委任統治時代にも、
これらの島の間には、なにかと交渉があり、
親しい島として付き合っていました。

 曾禰氏は、遠航の帰途、この付近を
通過する際に、できるかぎり近接して、
当時の少尉候補生にグアム島の一般
状況を説明し、かつ遠望させて、将来の
参考にさせたことがありました。

 今回のグアム島攻略戦にも、この中には、
当時の若武者もいくらか加わっていたはずで、
少しでも役に立っただろうかと、懐かしく
思い出していました。

 アプラ港は、小規模な設備しかありません
でしたが、さすがにアメリカ領だけあり、
道路は完全舗装、開戦間もなくの爪痕も
余り認められず、至ってのどかな
風景でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 戦艦大和 [巡洋艦最上]

 シンガポールに入泊した最上は、ジャワ海、
インド洋方面における作戦行動が、一段落
ついたので、船体、兵器、機関などの修理や、
軍需品の補給、乗員の補充交代などのため、
母港呉軍港に帰還しました。

 桂島泊地に投錨したのは、1942年5月21日
でした。この日、栗田司令官と、第7戦隊艦長
4人は、桂島に停泊する連合艦隊旗艦の大和の
山本長官の前に、伺候しました。

 曾禰氏が、大和を訪れたのは、後にも先にも
この時だけだったとしています。曾禰氏は、
大和を見て、「巨大だな。」と、驚き、
あきれるばかりでした。

 大和の主砲は、最上の20cm砲が大人と子供を
比較する以上に大きい、46cm3連装砲を3基も積み、
かつての最上の主砲だった15.5cm砲が、副砲に
なっていました。

 中甲板に降りてみると、迷路のようでは
あるものの、通路の幅は広く、総体がゆったり
した感じでした。

 長官室に入り、正面に起立していた長官の
前に、一列に並んで、型通りの挨拶がすみ、
司令官が、バタビア沖海戦の概要を説明
しました。

 長官から、「ごくろうであった。」という
ねぎらいの言葉をもらいました。曾禰氏は、
5分も経っていないこの時間帯、長官を観察し、
「将に将たる長官だな。」と感心したと
しています。

 もの数を多く言うわけでもなく、姿勢を
いろいろ動かすでもない長官からは、主将
という重さがあふれていました。曾禰氏は、
これを手本に、いっそう修練を積まなければ
と思ったとしています。

 翌日、第7戦隊は、在泊艦の登舷礼式に
おくられ、桂島泊地を出撃しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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