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巡洋艦五十鈴 独断の号令 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 やがて、明け方となり、東天がかすかに
白みかける頃、井上氏が、ベッドに
横たわっていると、突然、「総員配置につけ」の
非常ベルが全艦内に鳴り渡りました。

 防暑軍衣のまま寝ていた井上氏は、
一大事と艦橋に駆け上りました。
当直将校が、「敵機空襲」を口早に
報告してきました。

 指差す方を眺めると、数十機の敵艦上機が、
獲物に襲いかかるように、旋回しつつ
ありました。

 これはまずいことになるかも知れないと
思い、井上氏は、独断で、「機関全速力、
即時待機」「戦闘用意」「前部員、
出港用意」「対空戦闘」の号令を
矢継ぎ早に下しました。時刻は、
午前5時前でした。

 艦長が艦橋に上ってきました。艦長も、
次々と号令をかけて、戦闘の指揮を
とりました。

 井上氏は、出来るだけ早く出港する
必要があると判断し、機関室にエンジンが
使用可能になる、時機を問い合わせると、
15分かかるということでした。

 その間にも、主砲や対空機銃は、一斉に
火をふき、あたりはすさまじい轟音で、
耳もつんざくばかりでした。見張員からは、
敵機の動静が刻々艦橋に報告され、
敵戦闘機が、まさに急降下態勢に
入ろうとしていうのが、手に
とるように分かりました。

 航海長の井上氏は、エンジンの準備状況が
どうであれ、座して撃沈されるわけには
ゆかないと、また独断で、「両舷機、
前進一杯。」を令しました。

 この時、錨は、もう少しで揚がり終わる
状況でしたが、間に合わなければ、前進下命と
同時に、錨作業の人員を退避させ、ケーブルを
自然に切断し、強引に出港する決意でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦五十鈴 サイパン島に転送 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 第二戦的任務に明け暮れていた
1943年11月下旬、第14戦隊の長良と
五十鈴(鬼怒は呉で修理中)に、クェゼリン
環礁内にあるルオット航空基地の人員、
物資をサイパン島に輸送せよという
命令が下りました。

 この年の11月21日には、第4艦隊の
警備地域であるギルバート諸島のタラワ、
マキン両島で、激戦のすえ圧倒的な兵力で
日本軍守備隊を全滅させ、これを奪回して、
次の攻撃目標はクェゼリン環礁に向けられる
であろうことは、決定的と思われました。

 そこで、ルオット基地の人員、資材を
サイパン島に転送することは、貴重な
航空要員、資材を確保するためにも、
極めて重大な仕事でした。

 11月末近くに、長良と一緒に、
ルオット基地沖に入港した時、おり
から作戦行動中の第二艦隊を主力とする
大部隊が、泊地を出港した直後でした。

 これらの艦隊は、ギルバート作戦支援の
ために、この方面を行動していましたたが、
アメリカ軍の作戦成功により、その任務を
解かれ、撤退したものと考えられました。

 こうなると、ギルバート作戦に参加した
敵部隊が、いつ矛先をこのクェゼリンに
向けるかわからない心配はありましたが、
必要最小限の警戒態勢で停泊しつつ、
すぐに輸送の準備をはじめました。

 艦長と陸上の打ち合わせが終わり、その晩は、
そのままの態勢で停泊することになりましたが、
この時、ちょっとの警戒の緩みを生んでいました。

 これが、五十鈴をまたも、危機一髪の危地に
陥れることになりましたが、井上氏には、
知る由もありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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