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巡洋艦五十鈴 ガダルカナル島への輸送作戦 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 1942年11月中旬、五十鈴は、
ブーゲンビル島の南にあるショートランドを
出港した高速船団11隻を護衛するために、
巡洋艦鳥海らと護衛にあたっていました。

 船団は、当時生き残っていた優秀船ばかりで、
その中には、井上氏が進水式に参列した
三井船舶のキャンベラ丸や、青葉丸などが
見えていました。

 積載量1万t、速力18ノットの高速船で、
これらの船団を、ガダルカナル島に送り
届ける任務でした。

 しかし、ガダルカナル島に近づくと、
近海を遊弋していた敵空母部隊からの
艦上機の攻撃を浴び、虎の子の優秀船が、
次々に撃沈していきました。

 このような時、アメリカ軍は、輸送船のみを
狙うので、護衛艦は、対空射撃に専念でき、
ほとんど被害をうけることはありませんでした。
しかし、貴重な船が沈んでいく姿は、わが身を
削られるような、思いでした。

 このような惨憺たる対空戦闘のはて、
満身創痍の状態で、泊地に突入した船は
2隻のみで、その2隻も停泊のまま攻撃を
受けて炎上し、地上軍の作戦計画は、
完全に挫折しました。

 味方の航空機は、少数の上、戦闘機の
行動できる範囲をはるかに出ていたので、
戦場上空における滞空時間は、極端に
少なくなりました。どうにもできない
というのが、実情でした。

 アメリカ海軍の主力が、近海にいたので、
日本海軍も正攻法は、かけられません
でした。切歯扼腕とは、まさにこのような
状況のことだとしています。

 期待されていた輸送作戦は、失敗に
終わり、護衛部隊は、涙をのんで帰途に
つくことになりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦五十鈴 ガダルカナル島 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 日本軍が、緒戦の戦果を整理し、占領地住民の
宣撫工作をはじめた頃は、アメリカ軍にとっては、
巻き返しの準備段階に合ったので、戦闘らしい
戦闘は、南方海域に関する限り、起こりません
でした。

 しかし、マッカーサー式の陸軍が、海軍支援の下に、
ガダルカナル島に上陸してからは、戦局は急激に
変わっていきました。同時に、ジャワやボルネオ
方面で警備にあたっていた五十鈴も、鬼怒、
名取とともに、ラバウル方面に進出を
命じられました。

 ガダルカナルの作戦は、南方諸島制圧の
天王山で、日本海軍の死闘は、1943年2月7日まで
続きました。その間、第一次から第三次までの
ソロモン海戦、南太平洋海戦をふくむ約12回の
海戦が行われました。

 すべて、ガダルカナル島を目標に戦われたことを
考えれば、この作戦がいかに凄惨なものであったかが、
うかがえました。海軍の主任務は、陸軍への物資輸送と、
敵海軍の排撃でした。

 艦船と航空機すべて注ぎ込んで、占領を
確保しようと努力した日本海軍も、戦時生産を
軌道にのせたアメリカの膨大な物量の前に、
ジリジリ追い込まれました。

 日本軍がガダルカナルを撤収した以後の
戦局は、アメリカ軍が有利に展開していました。
戦略的価値がいかに大きいものだったかが、
伺われるとしています。

 この時、輸送作戦に参加していた五十鈴は、
危うく沈没寸前の危機にあいました。井上氏は、
戦後になっても忘れることができないと
しています。

 1942年11月中旬に、鳥海らといっしょに、
輸送任務にあたっているときでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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