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巡洋艦最上 艦霊の慟哭 [巡洋艦最上]

 棺が、海を永久の墓場として静まっていく
様子を、曾禰氏をはじめ、乗員一同は、
遺体一人ひとりに挙手の礼を持って、
お送りしました。

 曾禰氏は、最初から最後の一体まで、
挙手の礼の手を降ろすことはできません
でした。

 曾禰氏は、いつまでも長く続く航跡流に
目をとどめ、遠くに目を移し、白く消えていく
航跡流を追っていました。

 水漬く屍となることが、海上武人の本来の
姿とはいえ、暗然たる気分にならざる
をえませんでした。

 しばらく直立不動のまま、熱い太陽の直射を
浴びながら、後甲板から立ち去ることが
できませんでした。

 これは、乗員も同じで、曾禰氏が解散を
命じても、なかなか立ち去らず、海に目を
やっていました。

 水葬の間、絶え間なく弔銃とラッパの音が
交錯しましたが、曾禰氏には、礼式というより、
最上の艦霊の一つ一つの慟哭としか
聞こえませんでした。

 しかし、曾禰氏は、艦長としての役割が
ありました。また、いつどんなことが起こるか
分からないと思い直し、急ぎ足で艦橋の
指揮所に帰りました。

 この日の航海日誌には、「最上戦死者91柱の
水葬を執行す。」と記載されました。地点は、
ミッドウェーとトラックのほぼ中間地点でした。

 戦死者の遺留品は、分隊員の手によって
整理保管され、内地帰還後にそれぞれの
御遺族のお手元に届いたと思っていると
しています。

 なお、三熊の崎山艦長は、トラック入港
直前に、戦傷死されました。曾禰氏は、
これを伝え聞いた時、悲運の艦長で
あったと、敬弔の祈りを捧げることしか
できなかったとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 水葬の礼 [巡洋艦最上]

 6月8日午後3時、「海行かば」の軍歌の
ように、水葬の礼で送ることになりました。

 後甲板に運び出された遺体を囲むように、
配置にいるもの以外は、総員が整列して、
開始を静かに待っていました。

 形ばかりにしつらえた祭壇には、当時、
艦内に貯蔵してあったじゃがいもや、
玉ねぎ、缶詰類、堅パンまで、
供えてありました。

 香の代わりに、蚊取線香が代用してあるのも、
痛々しさを感じました。導師は、乗員の中の、
お経に心得のある何人かが、代わりを
努めていました。

 曾禰氏は、後甲板の一段高いところにたたずみ、
読経の済むのを待って、あたかも生きている
乗員に呼びかけるように、
「諸君の示した武勲の働きは、軍艦最上の
伝統として他の乗員の範となるものである」
と、武勲をたたえました。

 さらに、「遺骨を故郷に届けたいが、
いつ会敵するか分からない今日、水葬の礼を
もって送るほかはないことを許してくれ。」
と切ない胸の中を、訴えました。

 言葉としては、短いものでしたが、曾禰氏の
頬には、いつの間にか涙が伝って流れて
いました。そして、曾禰氏は、副長に、
水葬の執行を命じました。

 一列に並んだ、銃隊と、ラッパ隊も沈痛の
面持ちで、その瞬間を待っていました。

 やがて、庶務主任の読み上げる戦死者の
官氏名が終わると、関係分隊員の手で、
最後部に備え付けた滑板まで運ばれ、
弔銃と、「命を捨てて」のラッパに
送られて、一体、一体、滑るように
航跡流の中に落下していきました。

 しばらくは、航跡流の白い渦の上に
浮かんで、最上に追いすがるように
見えていましたが、ついに、海中に
沈んでいきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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