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巡洋艦五十鈴 人間性の調和による一時の安らぎ [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 戦闘で埠頭やビルなどは、ところどころ
破壊されたままになっていましたが、
日本軍の作戦拠点に転用され、どこへ
行っても、わが陸海軍の兵隊たちが、
氾濫していました。

 そして、現地人は、英蘭人の圧迫から
解放され、明るい顔で出迎えてくれました。

 五十鈴が、南方に進出した頃から
1ヶ月間は、のんびりしたもので、
最前線の戦友にすまないと思われる
毎日が続きました。

 井上氏は、このようなときこそ、旧跡を
回って、見聞を広めようと考えていました。
ペナンは、マラッカ海峡の北口をやくする
美しい港で、イギリス軍が使用していた
陸上の建物は、ほとんど日本軍に徴用
されていました。

 そこには、日本でもみられない冷房付きの
寝室や、テニスコートがある水行社があり、
快適にすごすことができました。

 熱帯の直射日光は、容赦なく艦の鉄板に
照りつけ、扇風機も空回りするような毎日
だったので、上陸した時にテニスで汗を
かき、冷えたビールで気持ちを鎮める
楽しみは、海軍軍人でなければ、
味わえない別世界でした。

 このような時は、戦地という厳粛な
環境の中にあることを忘れましたが、
インド洋に出撃していく潜水艦を
みていると、自分の過ごしている
現実が、人類の歴史にいかなる
役割を果たしているのだろうか
という懐疑的な気持ちになったと
しています。

 戦争といっても、四六時中戦争をしている
わけではなく、上記のように、合間には、
内地では想像もされない生活と楽しさが
訪れることがありました。

 明日をも知れない軍人の運命と、
人間性の調和による一時の安らぎが
あって、戦争の苦しみを忘れさせ、
もちこたえさせる何ものかが
ありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦五十鈴 メルギーに進出 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 井上氏は、兵学校同期の戦友に連れられて、
現地民の歌や踊りで楽しんでいる場に
行きましたが、被征服民の悲哀を一時の
快楽で逃避させているとしか見えません
でした。

 井上氏は、ここで、戦友と別れ、五十鈴に
戻りました。この戦友は、後に輸送機で
日本に帰還する途中で遭難し、戦死
しています。

 アル群島、ケイ群島は、7月下旬に海軍
陸戦隊によって占領され、五十鈴は、ごく
短時間だけ、海上を游弋して、支援した
だけに終わりました。

 作戦が完了して間もなく、「五十鈴は、
メルギーに進出せよ。」という電報命令が
ありました。井上氏は、メルギーがどこにあり、
任務は何なのか全く知りませんでした。

 調べてみると、メルギーは、マレー半島の
西岸、ビルマ領内にありました。3日間の
航海で、目的地メルギーに入港してみると、
そこには、第二艦隊が停泊陣形をして
いました。

 状況は、「航空機偵察によれば、セイロン島
ツリンコマリ港に、戦艦空母を含む、有力なる
英国艦隊が停泊している。前進部隊は、
航空部隊と協力して、この敵艦隊を
撃滅せよ。」ということでした。

 五十鈴の士気は上がり、戦闘即応の
体制で待機していましたが、大本営の
命令で、この作戦は中止となり、集合
していた各部隊は解散して、メルギーを
離れていきました。

 それから、五十鈴は、大した作戦も
ないまま、セレベス島マカッサル、
ジャワ島スラバヤとバタビア、マレー
半島シンガポールとペナン、ビルマの
メルギー、スマトラ島サバンなどの各港を
めぐり歩きました。

 これらの港は、オランダ、イギリスの
重要拠点なので、港湾や、市街の
建設には、巨額の費用を駆けており、
目を見はらせました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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