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巡洋艦最上 第7戦隊グアムを出撃 [巡洋艦最上]

 ミッドウェー海戦時の最上ら第7戦隊の
動きを紹介します。

 第7戦隊は、6月6日早朝に、ミッドウェー島の
艦砲射撃をすることになっていました。そこで、
5月28日にグアムを出撃し、14ノットで
東航していました。

 海上は穏やかで、翌日の29日の払暁時には、
先に出港した輸送船団の一団を、前方に望見し、
所在海面には、味方部隊をあちこちに確認
できました。

 おだやかにつかず離れずの態勢で、
ジグザグ運動を行いつつ進撃しました。
6月5日午後、全力の35ノットで、
航進しました。

 豪快な重巡戦隊の海を圧する堂々の
航進であり、随伴の駆逐艦もみるみる
遅れて、はるか後方の水平線近くに
ありました。

 曾禰氏は、その間、緊張を保ちながら、
艦橋に立ち続けていました。高速航行に
慣れてきた頃、翌朝の砲撃に関する
打ち合わせすべく、操艦を山内航海長に
まかせ、佐久間砲術長と、ミッドウェー島の
射撃の打ち合わせを行いました。

 これまで、このような陸上艦砲射撃は
したことがなく、よほど詳細は打ち合わせを
しておかないと、意味をなさなくなりました。

 6月5日、何事もなく暮れていき、黒い
浮城4隻は、東方目指してひたすら
白波を蹴立てていました。

 ところが、午後10時になり、ミッド
ウェー島砲撃中止の命令が届きました。
第7戦隊は28ノットに速度を落とし、
北北西に変針しました。

 旗艦熊野から、敵潜水艦発見の無線電話が
ありました。そして、「赤々(左45度、
緊急一斉回頭)」という司令がきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 ミッドウェー作戦 [巡洋艦最上]

 今回行われるミッドウェー作戦は、海軍が
全力で支援し、陸軍が、ミッドウェー島攻略を
目的とするものでした。陸軍は、一木支隊を
はじめ、歴戦の部隊が当てられていました。

 これらの部隊は、極秘に輸送船5隻で、
サイパンに向かい、5月25日に無事到着
していました。揚陸予定部隊は、ミッドウェー島
環礁内にあるサンド島、イースタン島を攻略する
予定になっていました。

 曾禰氏は、ミッドウェー作戦は、攻略後
どのような手がかりを得るために行われた
ものなのか、究極の戦略目的は、うかがい
知ることはできなかったとしています。

「ハワイ攻略」
「不沈飛行場を入手して敵艦隊を牽制」
「足がかりに敵機動部隊撃滅の砦とする」
「ハワイに無言の圧力をかける精神的なもの」
など、考えられましたが、よくわからない
というのが実態でした。

 曾禰氏は、このことからしても、戦う前から
敗けが決まっていたとしています。


 さらに、防諜の失敗や、機動部隊の索敵の
不備があったとしています。巡洋艦水上
偵察機が、側面にいた敵機動部隊を
発見したものの、兵装転換などで、
混乱をきたしました。

 曾禰氏は、敵の発見が5分遅れたことが、
敗戦に導いた大きな導火線になったと
しています。

 真珠湾攻撃の際は、細かい神経を
使って、企図秘匿につとめてましたが、
ミッドウェーでは、日本軍の企図が、
事前に漏れており、全艦隊に伝達されて、
手配がなされていました。

 ミッドウェー海戦は、日露戦争で、日本軍が
バルチック艦隊を迎え撃って、祖国の運命を
決したことと同じ戦い(立場は逆)でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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