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巡洋艦五十鈴 敵を知らず [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 教官室から宿舎に戻った井上氏を、
結婚2年目の若い奥様の笑顔が迎えて
くれました。

 日本の運命を左右する大戦争が
起こったのに、まだ子供のなかった
奥様は、平成と変わらぬ態度でした。

 井上氏は、無知か、はたまた
えらいのか女性の心理がよく
分からなかったとしています。

 井上氏は、いつ消えはてるとも
知れない我が身の将来に対して、
妻としての覚悟を新たにして
もらうことが、心を悩ました
問題だったとしています。

 井上氏は、明日にでも出陣しなければ
ならない境遇でもなかったので、いよいよ
乗艦、出征という命令でも受けたら、
はっき解決しようと、自己逃避の
妥協策で、その日を終えました。
卑怯だと自分に言い聞かせながら・・・。


 井上氏は、1932年(昭和7年)に、
兵学校を卒業してからの艦隊生活は、
月月火水木金金の猛訓練でした。

 1940年に、兵学校の教官として、
陸上勤務を命じられた頃は、艦隊実力は、
世界列強に比類ないものという自信を、
刻み込まれました。

 しかし、「敵を知り己を知れば、百戦
また危うからず」の名言の内、敵を知るが
少なかったことは、否めませんでした。

 敵を知るが故に、アメリカとの対決に
危惧するなどの弱音を、はけるものでは
なかったというのも、実情でした。

 物質力の不足を精神力で補い、天佑神助を
期待する非科学的な信条が、兵術思想の中心を
なしていました。精神力は、尊ぶべきものでは
ありますが、限界がありました。

 戦力同等なら、精神力が高いほうが
勝ちますが、差があったら、それを精神力に
何%の期待ができるのかという見積は、
非論理的であったことは否定
できませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦五十鈴 一抹の不安 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 ラジオは、ひっきりなしに連合艦隊の
大戦果を報道し、これが、日本の戦勝に
通ずる瑞兆であれと、盛んに宣伝して
いました。

 周到な計画によって、海軍が緒戦の
大勝利をあげたことは、昼夜を分かたぬ
猛訓練と、卓越した海戦技術の結果で
あって、胸の高鳴る感激を覚えました。

 しかし、大敵アメリカ海軍の実力を
知る井上氏らは、一抹の不安を禁じえ
ませんでした。

 井上氏は、練習艦隊でアメリカ西海岸を
航海した際、物質文明のたくましさが、
日本より少なくとも20年は進んでいると、
感じました。

 さらに、アメリカ艦隊の訓練は、日本
海軍にも劣らぬ猛烈なものであり、圧倒的な
兵力を即応の態勢で、ハワイに常駐させ、
日本に威圧を加えていたことから
生じる漠然たる危惧の念でした。

 ラジオや新聞、雑誌は、「米英おそるるに
足らず」といったものばかりで、両国の
自由主義や、個人主義の悪い半面だけを
見た皮相の見解ばかりが、多くなって
いました。

 しかし、雄大な国力と、世界第一の海軍力を
持つアメリカの真の力が、とうてい日本の及ぶ
ところではないことを知っていた海軍の
中央当局や、実施部隊の首脳は、開戦に
反対の態度をとる者が多くいたことも、
周知となっていました。

 しかし、このように真実を見通して、
天下の大勢に抗し公正な主張をつらぬく
ために、勇気ある態度をとることは、
いつの世にあっても難しいことで
あったのかもしれないとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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