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巡洋艦最上 トラック泊地到着 [巡洋艦最上]

 最上は、給油後、会敵することなく、
6月13日に、トラック諸島の島影を
確認しました。

 トラック泊地は、広大な環礁に囲まれた
内海みたいなところで、適当な深さをもち、
多くの島が散在した絶好の泊地でした。

 ここへ出入りする入り口は、南北一箇所と、
ほか以下所の水路だけで、すぐ外海は、
何千mの深海になっていました。

 最上は、最も操艦がしやすい北の水道を
選んで、泊地に向かいましたが、ここは最も
危険な水路でもありました。

 敵潜水艦の絶好の待ち伏せ地点であり、
出入りする艦船は、いずれかの水道を
通らなければ、なりませんでした。

 曾禰氏は、環礁に近づくに従い、特に
対潜警戒を厳重にするように下令し、
北水道に近づいていきました。

 海面は、濃紺(深海)から、淡緑海(浅海)に
なりました。問題の出口に近づいてきました。

 ここで、最上は急に速度を落としました。
曾禰氏は、おかしいと思ったものの、どうする
こともできず、やむなくそのまま航行を
続けることにしました。

 この時、曾禰氏は、速度が落ちた原因を、
思い浮かべました。三隈と接触したときに、
錨鎖庫が壊れ、錨鎖がぶら下がっている
ということでした。これが、環礁に
ぶつかっていると思いました。

 ここで、最上は、何十tもある錨鎖を
180mもぶら下げながら、何日も航海
してきたなと、15万馬力の力強い機関に
驚きました。

 環礁内は、岩はないので、引きちぎることは
ないと判断し、そのまま航海を続けました。
夕暮れになり、奥まった錨地に到着し、無事に
使用できる左舷側の錨を投入して、安着しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 西村祥治少将 [巡洋艦最上]

 艦首をもぎ取られた最上は、重い足を
引きずるようにして、トラック島泊地を
目指したものの、この航海は苦労の
連続でした。

 曾禰氏は、毎日のように、機関長から、
当日の燃料消費量と、残量を報告して
もらっていましたが、6月5日~7日は、
ほとんど全力運転に近い航海をしたので、
燃料残高は心細いことになっていました。

 敵の空襲圏外に出たと判断できたので、
できるだけはやく、燃料補給をしようと
懸命でした。補給船の日栄丸と連絡を
取り合い、会合地点を打ち合わせた上で、
洋上補給をすることにしました。

 洋上給油には、縦に並ぶ方法と、横に
並ぶ方法がありましたが、横に並ぶと、
針路と速度を合わせる必要があり、現状の
最上では、技術的に難しいと判断し、縦に
並ぶ方法を取ることにしました。

 このことを日栄丸に通告して手配し、
何百tほどの燃料を補給することが
できました。

 この日、最上に、ミッドウェーから引き
上げる第四水雷戦隊が近づいてきました。
第四水雷戦隊の司令官は、曾禰氏が
若い頃お世話になった西村祥治少将
でした。

 西村少将から、「連日のご奮闘ご苦労さま。
ここに武運めでたい貴艦に会し、感慨無量なり。
乗員一同によろしくお伝え乞う。」という信号が
送られてきました。

 曾禰氏は、昔の温情を、今日そのままにみる
気持ちにおそわれ、胸が熱くなりました。すぐに、
「ご厚情を深謝し、貴隊のご武運めでたからんことを
祈る。」と返信し、お別れしました。

 西村祥治少将は、この後、レイテ沖海戦で、
戦死しています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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