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巡洋艦最上 新たな敵 [巡洋艦最上]

 空襲を振り返ると、第一日目は、何派来たのか
曾禰氏も忘れたとしています。その対応で、全員
戦闘配置から、離れられなかったという事実から、
相当頻繁に来ていたことは確実でした。

 この日は、命中弾はなく、至近弾が舷側付近の
水面に炸裂しただけでした。それでも、外板に
無数の小孔をあけ、蜂の巣のようになっている
ことが判明しました。いかに、爆弾の小破片が、
四散したかが伺われました。

 被害は戦死者2名と、重傷2名でしたが、
重傷者の一人の飛曹長は、艦橋後部で左腕を
撃ち抜かれ、左腕切断のやむなきに至り
ました。さらに、翌日の被弾で、治療室で
悲惨な戦死を遂げました。

 空襲二日目は、三隈生存者を駆逐艦に
収容中、第三波の空襲を受けて、やむなく
三隈を離れ、西方に退避して夕闇が
迫った後、「撃ち方止め」を号令して
います。

 焼け付くような海上での奮戦で、艦も
兵器も乗員もクタクタになっていました。
最上は、夜間対潜警戒を厳重にしつつ、
速力を12ノットに減速(燃料の節約の
ため)し、第二艦隊長官の指示によって、
航行を続けました。

 そのような時、はるか東南の水平線上に、
敵水上偵察機を発見しました。水上偵察機で
ある以上、敵の水上部隊が近づいていることは
確実で、遠からず砲戦を強いられそうでした。

 曾禰氏は、早速艦内高声令達器を持って、
直接この状況を説明し、その心構えをするように
命じました。

 次に、通信長に、平文で、「敵水上艇に
触接せらる。敵水上部隊近しと判断す。
われ、これを連合艦隊主力方面に誘致する
如く行動す。」と通信するよう命じました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 血と肉の地獄絵図 [巡洋艦最上]

 戦死体は、分隊員が、遺髪とつめを、丁寧に
つみとり、姓名確認のための、防暑服のどこか、
あるいは靴などに記されている姓名をあたって、
確認する作業も一方ならぬ難作業でした。

 機関室で戦死した同科員が、最期のときに、
隔壁や側壁に「仇をとってくれ」、「天皇陛下万歳」
など、当時の景況を推量できる曾禰氏は、涙なくして
読まれない文字が、釘や鉄片で書きつけられていた
としています。

 他に、爆弾で曲がった鉄骨にいた真っ黒く
焼けただれた遺体を見つけ、引きずりだし
靴から氏名を確認すると、自分の分隊員で
あることを確認して、ぎょっとしたと、
言う者がいました。

 某機関銃手は、配置で敵機の機銃掃射を
受けて、その場で戦死したにもかかわらず、
機銃の銃把から手を外していなかったという
報告を受けました。

 また、運転下士官は、運転ハンドルに体を
縛り付けて、ハンドルに伏せたままの形で、
戦死していました。この報告を聞いた
曾禰氏は、暗然たらざるをえません
でした。

 まさに、血と肉の地獄絵図のような状態
だったので、一段落するまでは、容易ならぬ
作業だったと言えます。

 こんな勇敢な乗員があったればこそ、
二日連続の強襲にもかかわらず、深傷の
艦を相当の乗員と共に、基地に回航
できたと言えます。

 曾禰氏は、艦霊慟哭しながらも、最上を
守護してくださったと、感激せずには、
いられなかったとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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