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巡洋艦摩耶 サイパン島 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 猛将南雲忠一中将指揮する航空艦隊が
展開しているサイパン島付近の海面に、
アメリカ上陸部隊が押し寄せてきたのは、
1944年6月15日でした。

 サイパン島は、日本列島の扇の要の
ような位置にあり、ここにアメリカ軍の
拠点を作られると、長距離爆撃機で、
日本を空襲できる位置にありました。

 日本本土を攻撃して、戦時物資の補給源を
叩くことは、フィリピン奪還と並んで、
主要戦略でした。

 日本軍にとって、サイパンの死守は、
至上命題であり、敵軍にサイパンを
ゆだねることは、日本敗北に通ずるぐらい、
誰の目にも明白なことでした。

 日本軍は、陸軍の主力を同島に配備すると
ともに、陸海軍の大部隊がサイパン島に配備
されていました。アメリカの上陸第一報が、
連合艦隊にもたらされると、艦隊はただちに
リンガ泊地を抜錨し、ボルネオの基地で重油を
満載しました。

 その後、サイパン方面に敵を求めて進撃し、
今度こそは、アメリカ艦隊を全滅させ、戦勢を
挽回すべく艦隊の士気は極めて盛んなものが
ありました。

 しかし、航空機の発達した現代の海戦に
おいて、艦隊同士で砲火を交えるチャンスは
極めてまれで、勝敗の帰趨は、前哨戦の
航空攻撃により殆ど決まっていました。

 それだけに、このサイパン作戦に当たって、
今までの大小様々の海戦で、極度に消耗した
航空戦力の低下がいかんともしがたく、日本軍に
とって、頭痛のタネとなっていました。



紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 あ号作戦 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 井上氏は、転勤の命令が発令された
その日に、出発することにし、五十鈴の
先任将校に必要な申し送りを伝えました。

 井上氏は、熱望していた艦隊巡洋艦の
航海長に発令されたことで、足取り軽く
赴任したとしています。

 井上氏は、日本海軍の決戦に備える主力
部隊の重要任務に、馳せ参ずることでもあり、
日本海軍第一の防空力を備えた大型巡洋艦に
乗り組むことは、武人最大の名誉と考え、
責任の重さをひしひしと感じていました。

 1944年6月、「あ号作戦」に備えて、
連合艦隊が訓練に日夜励んでいたシンガポール
南方のリンガ泊地に、摩耶と共に進出して
いきました。

 アメリカ軍は、主力の第三艦隊が、太平洋
正面作戦に従事しており、第7艦隊は、陸軍
部隊と共に、南太平洋から、フィリピンの
奪回を狙う作戦戦方針をとっていました。

 日本軍は、主力機動部隊を軸として、
潜水艦部隊、航空艦隊、南西方面艦隊を配して、
西太平洋にアメリカ艦隊を迎え撃つ計画
でした。

 摩耶は、機動艦隊の中の第二艦隊に属し、
栗田健男司令長官の直率する第四艦隊の
一艦でした。

 戦局の帰趨を決する艦艇数、航空機数に
おいて、アメリカ海軍がはるかに優勢なので、
日本海軍の戦法として、航空機の先制攻撃、
陽動作戦による分激、夜間における魚雷
作戦によって撃破し、上陸部隊を水際で
撃沈する戦法が研究されました。

 砲撃戦と、夜間の魚雷戦は、艦隊将兵は
等しく自信を持っていましたが、チャンスを
作り出すことは、至難の業でした。航空戦力を
立て直すのは、さらに至難であり、立て直しの
途中で、作戦が始まったというのが実情でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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