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巡洋艦五十鈴 アンボンに上陸 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 この頃、零戦は、世界一の俊英戦闘機で、
海軍の初戦の大戦果は、この零式戦闘機と、
酸素魚雷の威力におうところが極めて
大きいと感じていました。

 井上氏は、零戦の威力を目前にみた時、
乗員は、手を叩いて喜びました。敵機の
来襲は、毎日殆ど定時に行われていたので、
定時の艦内清掃になぞらえて、「日課手入れ」と、
異名で呼ぶようになりました。

 そして、いつものように夕方の「日課手入れ」を
終えると、静かな夜のアンボンの街へ、保健のため、
散歩上陸が許されました。艦上生活に明け暮れて
いると、陸上の土を踏むことが、何物にも
変えられない楽しみでした。

 街には、現地住民の適当な家を借りて、
士官クラブや下士官兵集会所も設けられ、
入浴や散髪もできるようになっているので、
井上氏は、ある夜、散歩がてらに上陸して
みました。

 そこには、偶然兵学校同期の戦友がいました。
久しぶりの陸上での入浴を終えると、いつ
再開できるとも、はかりがたいので、酒卓を
かこんで、戦線の四方山話に花を咲かせました。

 深夜になって、戦友の顔なじみの現地人
家族の家庭を訪れました。アンボンは南緯3度
なので、年中高温であり、湿度が高くなります。
椰子の実や果物などは、自然に育ち、労せず
して食料を得られました。

 そのため、怠け癖がついており、暑気の去る
深夜を利用して音楽やダンスを楽しんで
過ごしているということでした。

 ついてみると、今を盛りに現地の若者が、
ギターを鳴らし、ドラムを叩き、歌ったり
踊ったりしていました。しかも、現地の
強烈な地酒を、飲んでいるようでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦五十鈴 アンボンに進出 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 1942年7月9日、井上氏は、
同僚の親切心あふれる見送りのうちに、
江田島を出発し、横須賀軍港に
在泊している五十鈴に向けて
出発しました。

 五十鈴は、伊勢大神宮の神域を流れる
川からとった名前ということで、乗員は、
皆、神助を確信しており、五十鈴の
行くところ、戦勝あるのみという
ジンクスめいた信念に燃えていました。

 実際、香港占領作戦に参加し、見事な
功績を残した経験を有していました。

 乗員も歴戦の勇士ばかりであり、
新参の井上氏も、航海長として
乗艦している限り、敵にやっつけ
られるようなヘマはしないし、必ず
実現すると自信めいたものを、
持っていました。

 五十鈴は、7月下旬、占領済みのオランダ領
アンボンに進出しました。進出した目的は、
ニューギニア島の西南、オランダ領アル群島、
ケイ群島の占領作戦を支援するためでした。

 アンボン港は、天然の良港で、アンボン島の
ふところ深くに入り込み、波静かなところでした。
しかし、水深が非常に深く、五十鈴が停泊していた
地点も、岸から200mしか離れていないところで、
水深90mもありました。

 五十鈴がアンボンに入港したころの形勢は、
占領間もない関係もあり、日本軍の南進を
警戒する意味もあり、敵の偵察を兼ねた
攻撃隊が、来襲してくるという緊張した
状況下にありました。

 ひとたび、空襲警報が伝わると、艦内は
総員配置につき、砲員も機銃員も戦闘服装に
身を固めて、一撃必殺の闘志に満を持して
敵機に備えていました。

 急設された陸上飛行場からは、零戦が
飛び立ち、敵機が、五十鈴の見張員の
眼鏡に入る前に、またたくまに撃墜して
いました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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