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巡洋艦最上 対空戦闘 [巡洋艦最上]

 第7戦隊の鈴谷と熊野は、「連合艦隊
主力に合同せよ。」という命令があり、
最上らと分離して、去っていきました。
そして、不吉な予感が的中しました。

 曾禰氏が心配していた敵機による攻撃
でした。最上と三隈に、8機づつ殺到
しました。

 敵機の爆弾投下と同時に、取舵変針
回避し、右舷艦尾方向に落下しました。
敵機の照準はなかなかに正確で、
直進していたら、命中していました。

 これらは高高度による水平爆撃なので、
対空戦闘はしませんでした。次に近づいて
きた敵機に対し、主砲による遠距離防御
砲火を浴びせましたが、逃しています。

 このとき、百雷が一時に落ちるような
轟音と共に、大型爆弾の集団が海面を
見舞いました。一発でも命中していたら、
木っ端微塵になっていました。

 この後、来るべきものがきました。
急降下爆撃による来襲でした。曾禰氏は、
対空戦闘を令し、敵機の近接につれて、
主砲と高角砲、機銃が、防御砲火を
浴びせました。

 空を見上げると、敵機は、頭上で
編隊をとき、一機ずつヒラリとかわす
ように、最上めがけて急降下爆撃の
態勢に移りました。

(追記)
 終戦後、曾禰氏は、アメリカの技術
調査団が来日した時、水平爆撃と急降下
爆撃について、受け身の側からの所見を
求められたことがありました。

 水平爆撃は陸軍が、急降下爆撃は海軍が
行っているもので、ここにも、陸・海軍の間に
おける航空攻撃に対する功名争いのような
一場面をみた感じがしたと、しています。

 曾禰氏は、率直に返答したとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦最上 艦長の責任 [巡洋艦最上]

 曾禰氏は、夜間灯火管制の下で、通路の
防水扉は閉めたままになっている時に、
狭い艦内であれだけの活動ができ、
とにもかくにも防水に成功したことは、
奇蹟的というより、他の言葉が
見当たらないとしています。

 乗員の真剣な、活躍に感謝しつつ、
曾禰氏は、その後の処置をとりました。
この失敗は、時間にすれば1,2分位で
あったにしても、艦長自身が、敵潜水艦の
状況に注意を奪われ、艦全般に対する
監視に抜かりがあったのは、事実でした。

 このことからも、責任は自分にあると感じ、
曾禰氏は大いに悩んだとしています。この
痛手があり、「最上戦記」を、手記する
気にならなかったとしています。

 この夜は、動中静という言葉がピッタリの
夜となりました。曾禰氏は夢中で、乗員も
不慮の出来事に驚く暇もなく、命じられた
作業に夢中でした。

 それでも、曾禰氏は、拭い去ることが
できない悩みの中にも、いかに敵対中の
現状を処置すべきかを考え抜き、判断に
狂いがなかったこと慰みでした。

 司令官から、三隈は最上を護衛して、
戦場を離脱し、トラック泊地に回航せよ
という命を受けました。ミッドウェー島の
艦砲射撃は取りやめとなった(空母4隻が
撃沈したことによります)ので、大作戦も
敗戦のまま終息するのやむなきに
至りました。

 6月6日の朝、三熊の状況を知るべく、
手旗信号で損傷譲状況を確認すると、
「中部外板第なる異常なし、准士官
1名負傷した程度。」という返事があり、
曾禰氏は、胸をなでおろしました。

 最上は、三隈艦長指揮のもとに、
西進を開始しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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