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巡洋艦五十鈴 開戦 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 「帝国海軍は、米英両国と戦争状態に入れり」

 1941年12月8日の朝、ラジオのスイッチを
いれると、大本営発表の開戦ニュースが、
興奮の電波に乗って、静かな官舎街に
披瀝のように流れました。

 この頃、著者の井上氏は、海軍大尉の最若年
教官として、江田島海軍兵学校で教鞭をとって
いました。「ついに来るものがきた。」と、一瞬
緊張の雰囲気に包まれたものでした。

 二ヶ月ほど前、呉に入港した艦隊配属の艦が、
臨戦準備のために、艦内の非戦闘用品を陸揚げ
していました。その時、井上氏は、江田島の
官舎を尋ねてくれた級友から、言外にそのことを、
におわせて出港していきました。

 井上氏は、こんなに早く開戦の日がこようとは、
夢想だにしていませんでした。それだけに、
日本の開戦計画は、厳重に秘密が保たれ、
事細かに実行に移されていったと言えました。

 この日の8時頃、井上氏が教官室に出勤して
みると、ひっきりなしに戦況の放送をしている
ラジオと、教官連中の興奮した熱気で、
室内は、ムンムンとしていました。

 しかし、海軍が何よりも重視していた兵学校
生徒の教育は、平常と変わりなく進められ、
校長の草鹿任一中将も勉学の大切なことを
説いて、悲憤慷慨するのを、強く戒められました。

 井上氏は、国民の頭上にのしかかっていた
黒い雲が、きれいさっぱりとりはらわれた
という気持ちと、戦争終結まで生き延びるのは
難しいと考えられる自己への対決の気持ちが、
複雑に交錯するのを、抑えきれませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦五十鈴 諸元 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 今回から、巡洋艦五十鈴、摩耶について、
同じ書籍に掲載されている、

“レイテ沖この非情なる大海戦
 史上最大の開戦から奇蹟的に生還した激闘の記録”

から、活躍を紹介します。

 著者は、井上団平氏で、五十鈴の航海長兼分隊長、
摩耶の航海長を務めていた方です。

 最初に巡洋艦五十鈴の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。
摩耶は、別途紹介します。

五十鈴
起工 1920年8月10日浦賀船渠
進水 1921年10月29日
就役 1923年8月15日
その後 1945年4月7日戦没
除籍 1945年6月20日
性能諸元
排水量 基準:5,170トン
    常備:5,570トン
全長 162.15m
全幅 14.17m
吃水 4.80m
機関 90,000馬力
最大速 36.0ノット
乗員 竣工時定員450名
兵装
新造時 50口径一四年式14cm単装砲 7基7門
40口径三年式8cm単装高角砲 2基2門
6.5mm単装機銃 2基2挺
八年式連装魚雷発射管 4基8門
飛行機 1機
飛行機滑走台 1基
機雷48個
改装後 40口径八九式12.7cm連装高角砲 3基6門
九六式25mm3連装機銃 11基33門
同単装機銃 5基5門
九二式4連装魚雷発射管 2基8門
水中探信儀
水中聴音機
爆雷投射機
爆雷投下軌条 2基
爆雷 90個
21号電探 1基
22号電探1基
13号電探 1基
(追記)
 五十鈴は、長良型二番艦で、艦これにも
登録されています。五十鈴は、1907年の、
八八艦隊構想(戦艦8隻、巡洋戦艦8隻、
これに付属する艦艇を整備する)の、
付属艦艇に属するものです。

 ワシントン条約で、戦艦が制限されたものの、
付属艦艇は対象外だったので、計画通り竣工
しました。

 しかし、戦艦不足を補うため、重巡洋艦建造に
主軸が移ったため、夕張建造以降、20年以上、
軽巡洋艦は建造されませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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