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巡洋艦摩耶 レイテ沖海戦前夜 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 敵艦隊は、スルアン島に引き続き、レイテ島に
上陸を敢行する模様という報告が、リンガ泊地の
栗田艦隊に届けられ、艦隊には、大本営から
作戦開始が命令されました。

 そこで、ブルネイ湾で燃料を補給した艦隊は、
10月22日早朝に、敵を求めてパラワン水道を
経由して、シブヤン海、サンベルナルジノ海峡を
通って、フィリピン東方海上に向かいました。

 前夜の21日の夕食は、決戦を目前に控えての、
大盤振る舞いでした。摩耶艦長の大江覧治大佐は、
旗艦愛宕の栗田司令官をたずね、最後の挨拶を
交わすと共に訓示を受けました。

 摩耶に帰還すると、総員を甲板に集めて、
祖国存亡を決する大海戦にのぞむ各員の
決心と覚悟をうながされました。この時、
満場しゅくとして声なく、各員の覚悟は、
その眉宇にみなぎっていました。

 やがて訓示が終わると、尾頭つき鯛や
肉料理で夕食が始まり、酒やビールも
ふんだんに出されました。

 この明日も知れぬ将兵に対する最後の
ご馳走に、すでに死を覚悟している乗員は、
なんら暗い表情もみせず、飲んで騒いだ後、
早々に寝につきました。

 ブルネイ泊地を出撃した後の航路、
航行隊形、作戦方針などは、計画書に
決められてあったので、諸作業は、
なんらの渋滞もなく、次々に
進められていきました。

 潜水艦のいそうな海面では対潜
警戒航行序列で、縦に長い隊形をとり、
航空機の来襲しそうな海面では、対空
警戒隊形をとりましたが、長年の訓練で
こんな運動は、自由自在に行われました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 暗雲低き日本本土 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 ある日、井上氏は、日曜日を利用して、
横浜に済む友人を訪ねました。一通り挨拶が
済んだ途端、その友達から「日本は大丈夫で
しょうか。」と、聞かれて、内心ゾッとしました。

 国内資源の状況や、戦闘の経過を知らせる
ことは、井上氏にとって、たやすいことでしたが、
摩耶が、どんな行動をして、いつ戦闘し、どんな
損傷を受けたかは、関係のない人に話すのは
厳禁でした。

 そこで、「陸海軍の部隊が現存する限り、
日本が負けることは絶対にない。長い戦争の
間には、新聞に発表されるような不利な
状況になることもあるが、けして心配する
ことはありません。」と、一瞬戸惑った後に、
返答しました。

 友人はなるほどとうなずいたものの、
疑いの気持ちは、覆うべくもありません
でした。実際は、日本本土には、暗雲が
かなり低い高度で立ち込めていたと
言えます。

 1944年10月20日、アメリカ軍が、
フィリピンのレイテ島に上陸して、
フィリピンの奪回に取り掛かりました。

 この前に、アメリカ軍は、ペリリュー、
モロタイの両島を手中におさめ、次の
攻撃目標がフィリピンであることは
予期していました。

 そこで、日本軍は、なけなしの兵力を
振り絞って、敵の来攻にそなえました。
しかし、艦船を揃えても、燃料、弾丸、
航空機がないという、ないないづくめ
でした。

 しかも、この作戦は、外地における最後の
砦として、敵を一挙に撃滅しようという作戦で
あったため、計画や準備に従事する将兵の
覚悟は、言語に尽くせぬ悲愴なものが
ありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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